こんにちは。

なんだか昨夜から具合が悪いです。
午前中ゆっくり休んで午後から
デイケアに行ってきましたが、
静養室でぐったりとしていました。

ブログの投稿もちょっとしんどい
ですが、今日はどうしても
ここに書き残しておきたいことが。


20数年前の6月11日、
時間帯は夜中だったと思います。
私と兄は眠っていたのですが、
突然、母に起こされ、
訳が分からぬまま車に乗せられ
遠出をしました。

当時、私は幼かったため、あまり
覚えていないので、家族から聞いた
話なのですが、

夜中に向かった先は東京の母方の祖父が
入院している病院でした。
祖母から、祖父が危篤だと連絡が
入り、急いで病院に向かいました。
どうにか祖父の最後に間に合うようにと
両親は急いでいたと思うのですが、
私達家族が病院に着いたときには、
もう祖父は亡くなっていました。

私は当時、幼く、人が「亡くなる」と
いう意味や「悲しい」ということが、
よく分かっていなかったと思います。

私には祖父との記憶もあまりありません。
遺影が無ければ祖父の顔さえ、分からなく
なっていたかもしれません。
記憶はハサミでザクザクと切り取られた
かのように、ずっぽりとなくなり、
思い出せるのは残った断片的なもの
ばかりです。

その断片的に残るわずかな祖父の記憶。
どの祖父もいつもニコニコと笑って
います。
祖父は病気で亡くなりましたが、
私は祖父の苦しむ顔や怒る顔などは
一切知らないのです。

両親や祖母は祖父との思い出話をする時、
よく言います。孫である兄や私のことを、
「とても可愛がっていた。
いつも兄やえりんぎを見る顔はニコニコ
と目を細め、とても穏やかだった」と。

その当時の私は、どれだけ祖父から
愛情を注がれていたかなんて考えも
しなかったと思います。
でも大人になった今思い返すと、
わずかな記憶しか残っていないのに、
その記憶から、
祖父は私を本当に可愛がり、
溢れんばかりの愛情を注いでいてくれた
事が分かります。

そんな祖父と私はたった数年しか
一緒にいられませんでした。

今日6月11日は祖父の命日。
祖父との思い出を必死に思い出しながら、
「じいちゃんに会いたいな」
なんて思っていました。


10代の頃から気持ちの調子を崩している
私。
そんな私に祖父だったら何て言葉を
かけてくれるでしょうか。
勉強が苦手な私、理解がゆっくりな私、
コミュニケーションが苦手で友達が
いない私、自分を否定し続ける私、
自殺を考えてしまうこともある私。

祖父とお別れした時が幼かったため、
大人になった私に何て話してくれるかは
想像がつきにくいですが、
こんな私のこともきっと可愛い大切な孫と
して見てくれるような気がします。
きっと早く元気になることを必死に
願ってくれる気がします。
私に対して否定的な事は考えないと
思います。

そして、
祖母は私の精神的な病気のことは多分
理解しきれていないと思います。
精神科に通院してることも、先日まで
入院していたことも多分知りません。
そんな祖母も今でも私のことを可愛い
がってくれて、
「いつまでも、えりんぎは私の孫だ。」
と言ってお菓子をくれたり(笑)
(いつまでたっても私を可愛い子ども
だと思ってるのだと思います。)

祖父母が育ってきて時代や子育てを
していた頃は精神的な病気があまり
知られていなかった時代かもしれません。
(勝手な思い込みだったら、
ごめんなさい。)
でも祖父だったら祖母と一緒に
理解しようとしてくれたかも
しれません。
祖母が今も私を可愛がってくれる
ように祖父も私の幸せを願って
くれると思います。

祖父が亡くなっていようと、
今も元気に過ごしていたとしても、
祖父からの愛情はずっと注がれて
いるように思います。

そして、
先ほど母が帰ってきて聞いた話ですが、
祖父母と私達家族が一緒に食事をした時
のこと、、祖父は私や兄を見て
「幸せだ、この幸せが当たり前だと
思ってはいけないな。」と
話していたそうです。
ほんの少しだけの時間だけだったけど、
こんな私も祖父を幸せにする事が、
出来ていたのだと思うととても
嬉しかったです。


じいちゃん、
もう会えないけど、じいちゃんの事、
思い出したら、私も少し幸せになれたよ。
じいちゃんが私達を見て幸せだと
思ってくれて、自分の価値が少しだけ
見えたよ。
いつも愛してくれてありがとう。
ばあちゃんの事も見守っててね。
天国でも穏やかな笑顔で過ごせますように。
大好きだよ。
ありがとう。