NHK 大河ドラマ「光る君へ」藤原寧子(財前直見さん配役)と藤原道綱(上地雄輔さん配役)親子が登場しています。」財前直見さんは三代美人と言われていた道綱母にピッタリ、上地雄輔さんも道綱の憎めない雰囲気が表現されていたと思います。藤原寧子のモデルは右大将道綱母「蜻蛉日記」の作者です。「更科日記」作者の菅原孝標娘の叔母にあたる人物。「光る君へ」は今、花山天皇の御代ですが、「蜻蛉日記」の時代は少し遡って村上天皇の御代です。村上天皇と藤原師輔娘安子の皇子が円融天皇です。この安子は稀に見る嫉妬深い女性でそのエピソードが「大鏡」に書かれています。さて,「蜻蛉日記」では葵祭の見物で藤原兼家の正室時姫と遭遇し,互いの侍女を巻き込んで火花を散らす場面がユーモアたっぷりに描かれています。蜻蛉日記の作者は美貌にも文才にも恵まれた才色兼備で多くの和歌を詠んでいます。「百人一首」にも一首選ばれています。父藤原倫寧の晩年の娘が菅原孝標娘の母にあたる人物で文才に恵まれた家系なのでしょう。蜻蛉日記の中にも父の所に出産があったという記述があります。

蜻蛉日記では自分自身の嫉妬心を正面から赤裸々に描いています。自分自身自分の顔を見て憎らしげだと表現しています。思わず笑いを誘います。出家すると言って兼家を振り回したり、兼家の嫡男藤原道隆が迎えに出向いたり騒動を繰り返します。この時道隆は大いに道綱母を讃えて何とか京に帰ってもらおうとします。まだ15才の道綱も母上が出家するならもう自分も後を追って出家すると大事にしていた鷹を放ち健気な姿を見せています。道隆は鷹狩りが得意です。時姫の産んだ道隆,道兼,道長が権力者になる中,道綱はおとなしい性格。

おそらく源氏物語を執筆する上で紫式部は人物像,表現等参考にしたと思われます。

天暦8年(953年)18才で兼家との結婚から天延元年(973年)38才までの日記です。紫式部は推定で貞元元年(976年)に生まれています。執筆の終わった後です。兼家は文才ある妻に自分では書くことのできない自分の日常,一族の栄華,自分の立場からの記録を残させようというなんらかの意図があったとすれば、書き写しながら人から人へと伝わったのではないでしょうか。当時、和紙は大変貴重でした。清少納言や紫式部は中宮のサロンで和紙を自由に使える環境にありました。

百人一首に選ばれた歌は大変有名です。自分の屋敷を素通りして町の小路の女宅を訪れる兼家に,「なげきつつ ひとりぬる夜の あくるまは  いかに久しき ものとかはしる」と詠んでいます。度々の嫉妬の炎上に時の権力者兼家(この当時は兼家は右京大夫,中納言,東宮大夫等歴任)も「まほならぬがわろさよ」現代語訳「素直でないのが瑕だね」と愚痴をこぼしています。

「蜻蛉日記」は散逸が多く江戸時代まで研究書もありませんでした。本文は全て推定で研究者が少しずつ復元しています。この日記の魅力は女の嫉妬や喜び,華やかさ,寂しさ、人生の栄枯を正直に綴っている所です。源氏物語の前に書かれた事にも意義があります。