ナムチャバルワの特集記事をスクラップしながら他の記事を読んでいると、昨日の天草四郎のごとく思いがけない発見があります。

本日のネタはこちら。

 

 

家康の時代のチェス駒に関する記事でした。

読売新聞、平成3年11月27日。

 

長崎の砲術師高島秋帆の邸宅跡地で、1600年頃の地層から出土したのだそうです。

地層が何年前のものであるかを調べる方法、それはどこかで検索していただくとして。

 

(高校地学の授業で聞いた気がするけど覚えていない)

 

ビショップ(僧)の駒が出てきたというニュースでした。

この盤上で言うとcとfの列にいる駒です。

 

 

新聞記事では「王と后の横」とありますが、クイーン(后)がd、キング(王)がeの列。

ビショップは将棋でいう「角」の動き。

隣の馬=ナイトは印象的な形ですね。桂馬ですが横にも後ろにも行く、「八方桂馬」なんて呼ばれます。

両端のルーク(城)は飛車。

 

信長・秀吉の時代の南蛮貿易、家康の時代の朱印船貿易でこうした西洋のゲームも多数持ち込まれたようで、例えば我が伊達藩の領内ではトランプのマーク(ハート、スペード、クラブ、ダイヤ)をモチーフとした模様が施されている建造物もあるくらい。

 

家康がチェスを目にしたかどうかは知りませんが、長崎の人々はどのくらいこのゲームを覚えたのでしょうねぇ。

覚えたての頃は将棋の感覚で飛車先を開けてしまうのがありがちなのですが、チェスでは将棋だとあり得ないキング前もしくはクイーン前を突いていく。

かくいう自分は攻撃オンリー防御ゼロの猛進型でしたから、キング及びその隣(eとf)をオープンにするリスキーな戦い方を好んでおりました。

 

 

 

 

毎日ニュースでロシアとウクライナの戦争を目にするたびに、チェスを通じて友人になった人たちのことを思い出します。

個人個人では仲がいいのに、なぜ国という単位になるとこうなるのだろう。