チベットの未踏峰ナムチャバルワのことを旧友I君と話した時に、I君は同じチベットの梅里雪山のことだと思い、「京都大学の山岳部が遭難した」と言ったのですが、

こちらはなにせジュニア向けの本に書かれていた程度の知識しかないニワカであり、ナムチャバルワで京大が遭難したのだと思い込んでいました。

 

 

 

もしかするとI君はナムチャバルワの中国名を梅里雪山だと思ったのかもしれない。

 

いづれにしても同じチベット南部、同じ1991年の出来事、同じ日中合同チーム、同じ雪崩という災害、などあまりに似通った話であり、しかもほとんど知識のない二人の会話だから多少の齟齬があっても何一つ支障がなかったわけです。

 

そこで本日は図書館で梅里雪山の記事を探してみるかと1991年の読売新聞を探したところ。

 

 

なんとナムチャバルワが出てきました!

こちらの山岳チームは読売が協賛していたようで、朝日・毎日ともナムチャバルワはほぼ記事らしい記事がなく、京大のほうの梅里雪山は朝日に集中。

ニワカの自分はもちろん、新聞記事に目を落としていた秀才I君が京大のほうを先に思い出したのは当然のことだったわけだ。

 

今から30年も前のこと、まだここは未踏峰。

チベットという特殊な地域の政治と宗教の問題もあり、外国人が簡単に入山できる環境ではなかったことに加え、三方を大河によって囲まれ断崖絶壁になっているという天険。

登山家たちにとっては憧れの的だったのですね。

 

 

登頂に向けてじわじわと前線基地が作られていく過程。ナイプンというのは山の南面にある標高七千メートルの山で、すでに登頂済み。ここからナムチャバルワを目指そう、というのですが…

そこからは垂直の壁が立ちはだかっているのです!

 

 

そして雪崩も頻繁に起こる。

この記事が書かれていた1991年1月に京都大学山岳チームが梅里雪山で雪崩に巻き込まれたという惨事が起こっています。

いかに屈強な山男でも雪崩に勝てるはずがない。

 

 

日中それぞれ6人ずつ、合計12人のチームがナムチャバルワに挑んでいきました。

ジュニア向けの本に書かれていた程度の知識では何も知らないのと同然でしたが、こうして新聞記事を集めてみると、この冒険がいかに大変なことか、改めて伝わってきました。

 

記事のコピーはまだまだ続き、それに伴うスクラップ作業はさらに長い道のり。

しかし大変だからこそ記事を集める楽しさも倍増です。

 

 

ここのあとは、梅里雪山の番だ!