「海難で死亡する方は、水や食糧の不足よりも恐怖で生きる力をなくす」
と発言したのはフランスの医師アラン・ボンバール。
この人が「実験漂流」をおこなったことは有名です。
水はなくても魚をしぼって水分をとったり、海中のプランクトンを集めて食糧にしたり、と命がけの実験。
このブログでも数々の漂流物語を取り上げてきましたが、やはりこの方々の、生き延びようという意志の力には敬意を表します。
「日本人初の世界一周」を成し遂げた津太夫を研究し、何よりもこの人を顕彰したいのは世界一周そのものよりも高齢にもかかわらず生き延びてきたという事実。
司馬遼太郎とかいう頭でっかちは津太夫を馬鹿にしていますが、だったらテメーも太平洋で命がけの漂流してみろって話です。
さて。
昭和50年の新聞記事を見ていたらです。
ボンバールのように実験漂流をおこなった斉藤実氏の記事発見。
この方は映画監督ですが、ノンフィクションを題材にしていたようで、海難事故を目の当たりにして、ボンバールと同様の実験を実行しようと思ったのです。
過去にも同様の実験をおこなっています。
今回の実験は、日本から太平洋を横断しサンフランシスコを目指すという壮大なもの。
江戸時代には実際に14~5ヶ月かけてアメリカワシントン州に流れ着いた例もあり、海流に乗れば決して出来ないことではない。
この記事では資金集めに奔走していますが、周りからは「やめろ」と止められている様子。
海水を飲んで生き延びた経験があり、それをさらに立証するため。もちろん魚を釣りプランクトンを集めながら腹も満たしていく。出航予定は6月。
ところがそれ以降の記事が出てこない。出てきたのはようやく9月でした。
やはり資金難で船を制作するのが難しかったか。
秋から冬にかけての航行となるので、場所を変更してミクロネシアからサイパンを経て日本に帰国することになったようです。
ヘノカッパ二世号、出発。
ボートの作成に資金を使い果たし、何かの時に救援を要請する無線機は買えなかった…
怖い怖い。俺だったら絶対やらんわ。
11~12月の記事です。出航の後、連絡が取れなくなった斉藤さん。1ヶ月が過ぎて不安になってきました。
海上保安庁は斉藤さんが遭難した可能性が高いとみて漁船などに知らせます。
そしてやはり…
実験漂流は本当に漂流し、それでも斉藤さん、沖ノ鳥島付近で漁船に救助されました。
水も食糧もなく、あと一日と覚悟を決めていたところで救助されたそうです。とにかく生きててよかった。
この実験漂流は失敗に終わりましたが、しかし斉藤氏、その漂流で生き延びたという事実は変わりません。
なんとしても生き抜こうという強い気持ちがあったからこそ救助の日まで頑張れたのだと思います。
もちろんその意思があろうとも限度というものはありますが、そもそもその気持ちがなかったら数時間で命を落としていたはずでした。
その意味では、斉藤氏の実験は成功を収めた、と言ってもいいでしょう。
昭和の新聞、面白いぜ。