【開拓史226 大通り開拓史①】 | 桜東行のブログ

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開拓史に特化したブログです。
幕末は高杉晋作さんが好きで、こちらは小説系にしたいと思案中。

札幌近郊の開拓史史跡及び歴史について書いてます。
宜しくお願いします(*´∀`)


開拓史史跡

大通公園

(13丁目〜1丁目の順)


大通公園に開拓史?と思われるかもしれませんが結構あるんです🤗


大通公園は5つのテーマに分かれていて


花 12丁目

フロンティア 11・10丁目

つどい 9〜6丁目

オアシス 5〜2丁目

交流 2〜1丁目


このようになっております🙂


大通公園の歴史については最後にまとめて紹介します。


※全てのブロックにあるわけでは無いので無い所は飛ばして行きます。ご了承ください。


【大通西13丁目】


これは説明いらないですねー🤗 

と、ここから見てくれた方々は是非この前の"札幌控訴院"のブログをご覧になってください。
13丁目には札幌資料館(旧・札幌控訴院)があります。

【大通西12丁目】



開拓史とはちょっと離れますがこの女性像は佐藤忠良という方の作品です。
後に紹介します開拓の母の像の制作者でもありますのと花が綺麗なので紹介します。
この若い女性の像について説明書から引用します。

佐藤忠良(1912〜2011)
設置年 1984
ブロンズ 高さ150 幅50 奥行50
寄贈者 ライオンズクラブ

ジーンズを身に着けた若い女性の像です。札幌控訴院であった札幌資料館を背景にバラの咲くサンクガーデンで、環境と調和してます。
佐藤忠良は像を設置する場所としてここを選び『札幌で育てられた私が、こんな良い所に作品を置かせてもらえ、大変嬉しい』と語りました。
1984年に第23回東洋東南アジアライオンズフォーラムが札幌で開催されたことを記念して同組織委員会が建立しました。

サンクガーデンは6〜10月が見頃です。
※まだ噴水も機能してませんので写真は撮らなかったのですが、30種1300株ものバラが咲き誇る西洋式の庭園です。
写真のピンクの花は名前分からずです^^;

【大通西10丁目】
ここにはホーレス・ケプロン像と黒田清隆像があります。
像は大きくて立派なものでこのエリアを象徴する銅像です。
ちなみにここは3月〜4月の午後から思いっきり逆光となりますので正面から撮りたい場合は正午前に撮影することをおすすめします📸

【ホーレス・ケプロン像】
台座にある説明書から引用します。

ホーレス・ケプロンはアメリカ合衆国の人。
明治四年わが国政の招きに応じ、合衆国農務
長官の要職を辞し開拓使教師頭取兼顧問となり、北海道開拓の大業に参画した。
すなわち多くな外国人教師を指揮して本道の実情をきわめ、卓越した識見と豊かな経験に基づいて北海道開拓の基本方策を進言し、開拓長官をたすけてその実現に努めた。その勲業まことに偉大である。
ここに北海道百年を迎えるにあたりその偉業を回顧し、功績を永く後代に伝えるためこの像を建立する。

昭和四十二年十月
北海道開拓功労者顕彰像建立期成会
会長 廣瀬経一

ケプロン氏の名前はブログ内に沢山出てきますが詳細をまだ記載にしてませんね。
というのもあまり細かく書きすぎると逆効果になりがちなので、史跡巡りではここにあります!を主に紹介していきます。
後に開拓史人物紹介編にて詳しくまとめておきます🤗

【黒田清隆像】
元薩摩藩士で開拓使長官、後に内閣総理大臣。
幕末が好きな方は薩長同盟のときに薩摩側の一人として坂本龍馬、高杉晋作さんとの絡みもある方ですね☺️
では銅像の説明書から引用します

黒田清隆は鹿児島の人。明治三年開拓次官、のち開拓長官に任ぜられ、北海道開拓の大任にあたった。
清隆はその性、明察果断にして開拓の知識を先進国に学ぶを痛感し、自ら海外におもむき見識を広めるとともにホーレス・S・ケプロンをはじめ、多数の外国人技師を招き、その進言を入れ着々開拓の巨歩を進めた。
北海道開拓の基礎はまさに清隆の卓見により確立したものというべく、その勲業まことに偉大である。
ここに北海道百年を迎えるにあたりその偉業を回顧し、功績を永く後代に伝えるためこの像を建立する。

昭和四十二年十月
北海道開拓功労者顕彰像建立期成会
会長 廣瀬経一

この方のエピソードの一つとして榎本武揚さんの助命嘆願が挙げられます。
頭を丸めてまで厳罰派と対立してます💪
ちなみにこの写真が4月25日午後3時半すぎ。
真正面からは全く写らなかった為、少し角度をつけてこれですえーん
綺麗に撮るには季節と時間に気をつけましょう!

【大通西9丁目】
このエリアは子どもたちの遊び場です。その中にひっそりある文学碑を紹介します。

【有島武郎文学碑】
作家の有島武郎(1878-1923)は明治29年に東京から北海道へ渡り札幌農学校で学びました。
その後は渡米、後に母校の教師となり大正3年札幌を離れました。
カインの末裔・生まれ出づる悩みなどの代表作の多くは北海道が舞台になってます。
この碑には小さきものへの一節が、友人であった武者小路実篤の書で刻まれてます。

ではその一節の碑文を引用します。

小さき者よ 不幸なそして同時に幸福なお前達の父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ 前途は遠い そして暗い しかしおそれてはならぬ おそれない者の前に道は開ける 行け 勇んで 小さき者よ

どこかで書いた記憶がありましたが開拓の村 有島邸 開拓の村に邸宅が復元されてました😀


武者小路実篤さんは同人白樺で共に活躍された方です。

意外にありますね🤗

テレビ塔から眺めてみると大通公園が一望できますが出来たら歩いて実際に見てください照れ
開拓史だけではない像や記念碑などもありますよ❗