【開拓史223 札幌控訴院①】 | 桜東行のブログ

桜東行のブログ

開拓史に特化したブログです。
幕末は高杉晋作さんが好きで、こちらは小説系にしたいと思案中。

札幌近郊の開拓史史跡及び歴史について書いてます。
宜しくお願いします(*´∀`)

開拓史史跡

札幌控訴院

(現・札幌資料館) 

住所 中央区大通西13丁目


観覧時間 

09:00-19:00


休館日

月曜日(祝日の場合は翌日)年末年始


観覧料

💕無料💕


【正面から】


違う日に撮影したので明るさが違いますが(^_^;)
とても素晴らしい石造りの建物ですよね。

この札幌資料館(旧・札幌控訴院)は大正15年に建てられました。
明治の開拓史からは少し経ちますが、この控訴院は札幌軟石が使われております。
少し前の協会でも紹介してますが非常に趣のある石造りの建物ですよね🤗

【正面玄関】



正面玄関の造り、素晴らしいですね照れ
こちらの資料館は大正15年(1926年)札幌控訴院(控訴院とは現在の高等裁判所に当たるもの)として誕生しました。
全国に8箇所設けられましたが現存するのは札幌と名古屋の2箇所のみです。

この札幌控訴院は昭和48年に裁判所合同庁舎が新設されるまで裁判が行われてましたが、その後は札幌資料館として市民に開かれました。
令和2年12月、国の重要文化財に指定されてます。

写真では入りきれて無かったのでパンフレットからお借りして説明しますね( ;∀;)
玄関上部には
①目隠しされた女神が置かれ
②左右には公平を表す秤と正義を表す剣を組み合わせた文様になってます(下記写真参照)
残念ながらこのアングルでは撮れなかったのですが奥の左右には真実を照らす鏡(パンフレット写真にあります)が掘られてます。これらは裁判所に相応しい

【法の権威と公正の原則】

が表現されてます。



スタートはまちの歴史展示室から。
ここが歴史を知る資料室となってまして、沢山の資料が展示されてます。

※後日、大通り公園のブログを書きますがそのポイントが記載されてる資料ははこちらでGET出来ます🤗

この資料室では創成川、大通り、公園、石山通、鉄道、市電についての資料や札幌軟石について、そしてこの控訴院についてを知ることが出来ます🙆

では控訴院について少し見てみましょう。

札幌控訴院が建てられた当時、裁判所は大審院・控訴院・地方裁判所・区裁判所という組織形態をとってました。
控訴院は全国8ヶ所(札幌・宮城・東京・名古屋・大阪・広島・高松・長崎)に設置され、現存しているのは札幌と名古屋(現・名古屋市政資料館)だけです。
落成当時は裏に別棟がありました。

明治時代、控訴院は札幌ではなく函館にありました。明治38年函館控訴院の管轄だった陸奥国(青森県)が宮城控訴院の直轄に決まったこと、日露戦争の結果明治40年に樺太も函館控訴院の直轄に入ったことで札幌への移転問題が生じます。

大正時代に入り結論が出ないどころか旭川も名乗りをあげ、函館、札幌、旭川の三つ巴の争奪戦に発展しました。
結局、当時の函館控訴院の理事長が控訴院長と連名で札幌が全道を直轄する司法官庁の所在地に相応しい旨を内容とした意見書を司法省に送ったことで控訴院は札幌に移転することとなります。

大正11年に建築工事がはじまりましたが、第一次世界大戦の余波と政府の財政繁縮政策により予算が削減され、さらに大正12年の関東大震災の影響により予定していた建築資材が入手不可能となり設計変更を余儀なくされました。

同じ大正期に建てられた大阪、名古屋の両控訴院に取り付けられている高さ6㍍の塔も、また当時主流であったスチーム暖房も取り止めとなっています。
基礎の深さも当初の7尺から5尺に変更され、工事も遅れましたが、大正15年苦難の末に完成しました。

こうしてみるとなかなか複雑な背景があったのですね😅

あ、玄関付近にはパンフレットがありますからそちらも忘れずに☺️↓↓

では札幌軟石について館内資料から抜粋して説明しますね😀

札幌軟石は約1000万年〜1500万年前、地下の深い所から地表1〜2kmまで上昇下マグマが固まってできた岩石、石英安山岩が硬石です。
その後、地殻変動で硬石山が出来ました。この山は標高371mです。

この札幌軟石が発見されたのは明治5年に開拓使請負人大岡助右衛門が硬石山を発見、翌年より本格的な採石が始まりました。

※一説によれば明治5年、開拓使の依頼により鉱物調査を行ったケプロン一行が発見したともいいます。

明治13年には18000個余りを採石し、翌年豊平館をはじめとする様々な建築物の礎石として利用されました。
以降、堤防工事や建築物の土台や石垣などにも利用されていきます。

採石が始まった当初は道が整備されておらず、豊平川から創成川までイカダで流送してます。
明治12年に運搬道路が開通し、馬車や馬ソリなどで石材を運搬するようになりました。

札幌軟石で作られた建築物は本当に素晴らしい造りです。

外国の建築技術をこうも早く実践できる当時の職人には驚きを隠せませんね😯

城の石垣を見ても建築・加工技術は高いものがありますが、それにしても豊平館をはじめとする西洋風の建築方法を短期で会得する勤勉かつ有能な日本人がいた事を留意しておきたいものです🙋


次はこの資料館のメインでもある刑事法廷展示室を紹介します。