(昨日の記事にちょっと加筆)
身体の世界では
あなたと私がひとつの場に入り
響き合って何かを共有することを
「型」と言います
「型」は窮屈なイメージだけど
ここで言っている「型」は
経験・体験の数のこと
妻の型 女の型 社会人の型
隣人の型 母の型 友人の型
それはすなわち
それだけの場を
経験するということ
それだけの響き合いを
体験しているということ
響き合いの重奏(笑)
そんな「型」をいくつも持つことが
身体を練ることになり
ひいては豊かな人生を体験できることに
つながるのではないかなぁ・・
と これは私の個人的な見解です
昨日の 皆川公美子さんの
クミシュランも、そんな「型」の
ひとつなんだろうなぁ・・
お互いの響き合いを共有する場
クミシュラン会にご参加くださったダンスとヨガのみちこさん
がこんなご感想を書いてくださいました。
左がみちこさん
(みちこさんブログより)
まず
刺さった言葉は
生きるとは
授かったエネルギーを消化すること
もともと持っているエネルギーを余らせてはいけない。
エネルギーの高い、低いにいい、悪いはない。
授かったエネルギーを生きること。
それがあなたそのもののエネルギーを生きる
ということ。
~~~(中略)
刺さる言葉
もう一つ
人生は全て経過である
これが答えかも!と思った。
苦しい時期があっても
それは経過の途中
全文はぜひこちらから
【あなたのエネルギーそのものを生きる】レポ
みちこさんと公美子さん、紫のお召し物というシンクロでした
生きていくってどれだけの響き合いを体験するか
なのだろうと思う
よく胸を震わせるというけれど
胸はもちろん
けれど
胸にとどまらず
身体のあちらこちらに
私たちは自分の歴史を刻んで
生きていっている
それは決してなくならず
すべてをその経過として
時間という旅行を楽しんでいる
この現実は
お互いの響き合いを共有する場
響き合いを体験するために
現実が作られているのかもしれない
だとしたらたくさんの響き合いをこれからも
経験していきたいし
いくのだろうな
そんなこともお茶会のあと
思っています