愚かさと傲慢さ(いちばん醜いもの) | ☆ レインボーの光と宇宙の無限の愛に包まれて ☆宇宙と共鳴してわくわくしよう!☆

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宇宙とリコネクトし、シンクロニシティを感じ、導かれ、無限の扉を開けて、光の存在であることを思い出し、愛と歓び、光と輝き、平和と奇跡に満ちた毎日を過ごしてみませんか?人生のCreatorはアナタご自身です。

 

 

 

 

今回も長くなりそうです。お時間のある方、興味のある方のみお付き合い下さい。

いつもありがとうございます。

 

07月17日(水)の「山羊座満月」とも関係することがあるようですので、

いまこのタイミングでブログアップします。

 

 

Twitter より(加筆有)

 

 

古代から賢者たちはいいます。「人間のエゴでいちばん醜いものは妬む心(嫉妬心)である」と。イエス・キリストも人間たちの妬みや嫉妬心(ジェラシー)によって、何の罪もなかったのに処刑され(殺され)ました。人間のエゴの中でいちばん醜いもの、妬む心や嫉妬心は、人を傷つけ、自分自身も傷つけます。人の魂も自分の魂も傷つけ、時代や歴史を傷つけ、神聖な時空間を破壊し、地球や惑星を傷つけます。人の命(生命エネルギー)や魂(エネルギー)を奪います。

 

この人類(人間)の愚かさはいまも変わっていないようです。第一に、神(大いなるもの)や神聖なもの、そのような存在や魂、エネルギーをもっている者(次元フィールドや魂のステージや高さが異なるもの)と比較すること自体おかしいし、そのような気持ちをもっていること自体「人間のエゴの傲慢さや愚かさ」ではないでしょうか。

 

もっとわかりやすく説明すると、あなたの目の前に「宇宙人」が現れたとします。そこであなたは、その宇宙人と自分(人間、地球人)を比較しますか?「どうして彼(宇宙人)はテレパシーが上手に使えるんだろう?私は使えない!」「どうして宇宙人はあんなに速い乗り物に乗って突然現れて、突然消えるんだろう?私はそんなことできない!」とか「宇宙人は目からビームを出せて、それで3次元物体を動かせるのに、私はそんなことできない」とか・・・書いていたらキリがあ りません。

 

人間的な視点から述べると、カラーというのは色々です。人間も色々。みんなの過去やカルマ(業)、徳や徳の積み方、魂(の気質や出身)なんかも色々です。なのに、人間はどうして周りの人達やまったくステージやフィールドの異なる人(者)や魂たちと比較するのでしょう?比較してどのような感情感覚を味わいたいのでしょう?

 

イエス・キリストも自分の弟子たちに妬みや嫉妬心を抱かれていて…最後あのような終末となってしまいました。自分が教えたり、導いたり、大切に思ってサポートをしている、また命や魂をかけてまで、サポートしている弟子たちから妬まれ、嫉妬され、裏切られる・・・その気持ちって…本当痛たましいです。

 

それだけ「人間のエゴ」は醜いし弱いものであることの証でしょう。

 

そしてそれらに執着、支配され続ける人間たち(のエゴ)…この部分が変わらない限り、マザーアースや地球空間は守れないでしょう。「歪み」が拡大していく一方です。地球の危機が気になります。

 

 

 

 

 

 

 

誰かがいつもいっておりました。「人間のエゴでいちばん醜いのは妬みや嫉妬である」と。なるほどなぁ~。それがもととなって起こることは無数にあるし、確かに醜い!醜すぎる!いちばん醜いのが、嫉妬心や妬む気持ちを持っているのに「自分は努力せずに他人を妬んでばかりいる人」「自分は何もせず嫉妬心ばかり燃やしている(性格の歪んだ)人」

 

第一に「人と自分を比べる」ということ自体もうすでに歪んでいる。歪み街道を歩んでいる。「比べている暇があるのなら、自分が少しでも成長できるよう努めろよ!」といいたくなる。妬みや嫉妬心を持つのは、女性だけではなく男性にもそういう人たちはいる。

 

男性の嫉妬心って本当に醜いよぉ~!そして、その攻撃はもっと醜い!!!救いどころがない。「いじめ」に走るからね。自分も若い頃、仕事の成績がよかったので(トップだったので)女性はもちろんのこと男性からもものすごく嫉妬されアタック(攻撃)されいじめも受けました。人種差別も。人間って醜い!

 

「人を妬んだりいじめている暇あったら自分たちも頑張ればええやん!人ばかり攻撃したりいじめたりしている暇に!」っていつも思っていました。でもそういう愚かで傲慢で醜い歪んだ人たちにはこういった気持ちや言葉というのは伝わらない。もちろん何をいっても無理(無駄)。

 

歪み街道まっしぐらの人生なんだろうし、自分が努力をするよりも相手を攻撃したりいじめたりしている方が彼らの選択であり生き方であるから…。すばり、そういったやり方の方が楽!というか、彼らの低い波動にあっているんだろうね。だから「歪んでいる」し、他人のことばかり妬んだり嫉妬したりする。

 

賢い人達(というか基本的な人たち?人の道をきちんと歩んできた人たち、歩んでいる人たち)は「どうしてこの人は〇〇なんだろう?」と勉強したり学んだり、そこから研究したり追求したりする。相手を自分のエゴから攻撃したり嫉妬したりすることはない。その人の真実やいまある在り方を認め、それがどうしてなのか研究、追求する。自分の醜いエゴ(愚かさや傲慢さなど)によって、相手や周りに迷惑かけることはしない。

 

それも「リスペクト(無限の愛)」というものである。

 

相手の立場に立って(なって)考える。感じる。「この人は(みえないところで)どのような努力をしているのだろう?」「この人はどのような人生を歩んできたのだろう?」「いまに至るまでどのような生き方をされてきたのだろう?」・・・このように「相手を(深く)理解しよう」とする。上辺だけで(表面だけで)相手を決めつけない。「このよう(今の状態)になるまでには、どのような努力を積み重ねてきたのだろう?それはいまだけ(今世)だけではなく、もしかすると過去生からずっと(徳を)積み重ねてきたのかもしれない」とか「この人が業績がTOPになるのは、人としても(人間としても)素晴らしいからなんだろなぁ」とそのままの相手を認め、理解しようと努める。

 

自分自身の醜い嫉妬心や妬みに走らない。そういった人たちはまだまだエゴが強くて自分勝手で自分のことしか考えられない器の小さい魂の若い(未熟な)人達。でもこういった人たちはこの人間界(3次元・地球学校)には結構多いのかもしれない。

 

今世できる人たちは、もちろん今世だけの努力だけではなく、過去生からのものも多い。といわれている。魂が記憶しているから簡単にすんなりと自然にできてしまう(場合が多い)、と。繊細さや感受性の相違もあるかもしれない。だから、過去生にもやっていたり極めていたりしたことは、今世でスムーズにできてしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

日本人の理解できないことのひとつに、「笑うところではないのに笑うところ」。これも自分自身の感情感覚をごまかしたり、恥ずかしいから笑ってごまかしている?のかもしれないけど、そういう人たちは少なくないようです。「えっ?ここって笑うところじゃないよね」て思うことよくあります。

 

もしかすると自分の感情をそのまま伝えるのが恥ずかしい?のかもしれないけど、なにか不誠実な感じのエネルギーも同時に感じてしまいます。自分自身の感情感覚をどうして笑ってごまかすの?って思ってしまう。もっと自分をリスペクトしてあげてもいいんじゃない?とそういう人に出会う度に感じてしまう。

 

自分自身の感情感覚をもっとリスペクトしてあげて、もっともっと素直に正直に伝えてあげてもいいのではないでしょうか?「I feel...(私は~と感じます)」というのは、自分の感情感覚であって、誰にも迷惑かけることではないのだから。迷惑になったり口論、喧嘩になるのは、「You(あなた)」のことをいったり指摘するから。これは関係性や立場上変化するが、一般的には(初対面でも、関係性が深くないのに)いってはいけないところ。

 

ここのところよくわかっていない人たちも少なくない。

 

特に主婦とか外で働いたことがない人や少ない人、人間関係を深く学んだことのない人達は(すべての主婦がこうだなんていってませんから誤解のないようにお願いします。一般的に多いのが自分の経験上、主婦の方でした、という結果論でしたということです)「境界線」や「(コーチング的)コミュニケーションの取り方」などを知らない場合が多いようで、よく「言ってはいけないこと」をいったり(かなり)無礼で失礼な人達もいます。

 

特にディスカッションになった時には(そういう時こそ)きちんとコミュニケーションのルールを守って、相手をリスペクトし、感情的にならず、ものごとを説明したり自分のいいたいことを主張したりするべきです。

 

主婦の人達はある意味、とても恵まれているのだろうなぁ、と思います。ご主人が毎日稼ぎに行ってくれて、子育ても大変だろうけど、子供たちは「無限の愛」で母親(ママ)を愛してくれます。例え、ママが大きな間違いをしていても、すんごいひどいことをしていても、人の道から外れていても、後ろ指さされるようなことをしていても、子供たちとっては「ママはママ!」なんです。子供たちの無限の愛は変わりません。そして、それを大きく勘違いしてしまう母親たち(ママたち)も現実的に多いのも事実です。

 

子供たちからは何をしても、何をいっていても無限の愛で愛され、慕われ、ご主人も何も言えず・・・

 

このような環境の中で、本当に「大きな勘違い」をしてしまう母親たちは多いです。

 

だから、少しそこ(その環境)から離れてみて、別の世界に触れてみると、自分自身の人としての至らなさ、というものに大きく気づかされることもあるでしょう。でもそこから(気づいた時点から)学んで修正していけばよいのです。大切なことは素直な気持ちで自分と向き合うこと、自分も相手もすべてをリスペクトすることなんです。これができない人、面倒な人、頑固な人、環境を受け入れたくない人、変えたくない人たちは、そのまま、マナーやエチケット、教育やリスペクトのないまま一生生き続けるのかもしれません。それもその人の選択です。

 

話し戻ります。

 

人は「真実を突き付けられる」と怒り出す人やパニックになる人たちも多い。そして、自分を見失って、すぐ相手に対して「あなたは~だから!」とその人のエゴ(恐れや不安)で決めつけたことをいう人たちもいますが、これは「かなり余計なおせっかい」にもなるし、マナー違反、ルール違反であり、「あ~この人、人との会話の仕方(コミュニケーションの仕方)知らないんだなぁ」と思われてしまいます。普通の一般的な人間関係においてはね。

 

しかし、「真実を述べる時」などには(裁判ではないけど)「いつ、どこで、誰が、何を、どういった理由から…(コーチングのテクニック5W1Hでもあります)」こういったことを聞いたり述べなければならないシトゥエーションもあります。その他、「この人、人間小さいし狭いし、体験や経験など少ないからこうなんだなぁ」と判断されるのが、「あなたは〇〇だから、誰も相手にしない」とか「あなたは〇〇だから嫌われる」とか・・・

 

そこまでいう必要のないことをいう「境界線を知らない」無礼な者。もちろん相手と時と場合にもよりますし、状況にもよりますが・・・。「自分を変えたい!変わりたい!」と強い意識をもってセッションを受けにきている時には、カウンセラーやティーチャーがそのようなことを告げる必要がある人達もいます。そこまでいわないとわからない感受性のかなり鈍感な人達や人の話を聴けない人たち、自分の感情感覚をごまかしたり、それらに嘘をつき続けている人たちにはそういったアクションが必要な時もありますが、いまお伝えしているのは一般的に、という事例です。

 

相手のことや背景、過去など全然知らないのに、相手をすぐ(恐れや不安から)ジャッジして、余計なおせっかいや余計なひとこと、ふたこと、みこと・・・をいう本当にバカな人!いるんですよーこういう人。日本人でも結構いたことを体験して少し驚きました。自分の思っていた(知っていた)日本人といまの日本人は大きく違っていました。時代の変化なのかそのような地域なのか、何か学びや気づきのために起こっているのかわかりませんが、その時には驚きました。

 

「そういうのは日本では誰も相手にしない」とか本気でいう人、いたんです。これって余計なおせっかいだと思いませんか?「あんたにいわれる筋合いないわい!」と思われる方々がほとんどでしょう。それもさっき出会ってまったく自分のことを知らない人に、ですよ。そういう人に限って、マナーやエチケットがなかったり、リスペクトがなくて、ネガティヴなことばかりいっていたりする本当に自分勝手な可哀そうな人なんです。

 

その上、「日本では誰も相手にしない」なんていっている人たちに限って、その地域から出たことない人達が多かったり、もちろん県外や国外などに住んだことなんてまったくない人達!だからおかしいですよね~。色々な経験がある人達のおっしゃることだったら、参考にさせて頂きますが、まったく経験のない人達がそのようなことをいうこと自体、別世界です。自分が相手の立場だったら、自分に体験や経験のないことは黙ってきいています。それがリスペクト!でしょう。もし「あなたはどう思いますか?」と尋ねられたら、自分なりの考えや意見は述べますが、しゃしゃりでて、自分自身の劣等感やコンプレックス、恐れや不安から相手をジャッジしたり、相手に迷惑かけたり、自分の感情感覚ぶつけたりはしないですよね。

 

でもこういう人・・・いるんですよ~。本当に驚いたっ!さすがのAliceも開いた口がふさがりませんでした。「真実の中をまっすぐ生きていない人たち」はとことん「まっすぐ生きていない、生きられていない」です。そういった人たちの人生はワープにワープを続け、感情感覚は麻痺し続け、歪みに歪みをかけて、すべてのものごとをみたり判断したりしています。

 

例えば、そういった人は、自分にペットがいても、エゴのためにペットを飼っているだけで、責任に関しては無視、放棄しています。私はある日、ある人の大型犬に車の扉を傷つけられてしまいました。なぜか?その人がきちんと自分の犬を躾けられていないからです。その人の大型犬の足の爪でガリガリガリと車の扉を傷つけられました。自分だったらワンちゃんをそんな風に悪者にはしないですし、基本的に人に迷惑がかからないよう最低限の躾はします。それが責任でありリスペクトだから。

 

子供がいてもペットがいても、きちんと教育や躾のできない人たち。自分のエゴや欲のために子供やペットと共にいる、といったケースも少なくない。エゴや欲で教育や躾はできませんからね。歪んだものとなってしまいますから要注意。

 

 

 

 

 

 


 

 

自分の子供をきちんと教育できない人や叱れない人、躾ができない人たちは、「自分の生き方に自信がない人」。「生き方に自信のある人(汚れのない人)」は子供であろうと大人であろうと、会社や組織の幹部であろうと会長であろうと「自分自身の意志や気持ちをしっかり伝えること(叱ること)」ができる。

 

言葉だけで実行力や行動力の伴っていないような生き方をしている人たち、そういった生き方を選択してきた人たちは、「笑ってごまかすこと」も多い。これは一種の「逃避」である。自分自身の感情感覚からの逃避である。その部分にしっかり向き合っていない、向き合えていない人はこういった「笑いのごまかし」をすることがよくある。

 

笑うところでもないのに笑ってごまかす。笑っていたら一般的には責められることがないからだろう。自分軸(光の軸)や「清い後悔のないまっすぐな生き方」を体験、経験していない人たちは、自分自身や生き方に自信がないので、子供たちや周りに何かいうことを躊躇してしまうのだろう。

 

潜在意識(無意識)が、そして意識的にそんな風に選択したり動いてしまうのだろう。過去にも「どうしてあの人いわないだろう?」といった場面に出くわすことが何度もあったが、「言わない」のではなく「言えない」のだろう。「光の軸」で生きてきていないから。光ではないから。