私は現在38歳です。

大学を卒業して22歳で社会人となり、今までそれなりに働いてきました。

23歳から営業に配属となり、以来37歳で2社目の会社を辞めるまでの間、営業という人相手の仕事を一筋にやってきましたが、人間ってホント、いろんな人がいて様々ですね。

人それぞれ多様な個性があるものです。

でも、中には自分と全く正反対で相性の会わない人もいました。

人間ですからやはり、人それぞれ好き嫌いはあると思いますし、それはそれでしょうがないかと思います。

まあ営業マンとしてはどんな性格の人とでも、お客さんとなれば、そういった個人的な感情を表に出すわけにはいきません。

どんなに自分と波長のあわない人でも、商売のためにはその人と合わさなければなりません。

でもやはりどうしても好きになれない人は存在しました。

仕事関係の人、プライベート関係の人等・・・

相手がお客様であれば、それはもうしょうがないのですが、これが周りの上司・同僚・部下・プライベートな関係となったら話しは違います。

そういう関係の場合は、ほぼ毎日といっていい位、顔をあわせるようになります。

そんな環境の中で、自分の近くに自分と波長の合わない人・意見や考え方の違う人がいると、正直たまったものではありません。

それでも私は、性格的なものもあるのでしょうが、少しでも相手の事を理解してみようという努力はしますし、しているつもりです。

しかし、それにも関わらず、その相手は全く‘意に介さず’という感じで自分の事ばかり主張します。

そしてそれは時として相手の人を深く傷つけたり、ヘタしたら追い込んでしまったりもします。

こういう人は自分に都合のいい屁理屈ばかりを並べ立てて理論武装をし、容赦なく相手をこれでもかとばかりに攻撃します。

そしてそのくだらない「理論武装」により、相手を言い負かした時、いかにも「勝った!どうだ、俺の言い分のほうが正しいだろう!」と言わんばかりの態度です。

私はこういう「ワガママ・自己中心的」な人物がいちばん大嫌いです。

その人が何を考えてるのか心意はわかりませんが、恐らく自分の周りがよく見えておらず(若しくは見ようとしないのか)、自分の言動・行為がどれだけ周りの空気を悪くしているのかが判ってないのでしょうね。

要はその人は「主観的」性格の人で、自分の事を「客観的」に見る事ができない人なのでしょう。

客観的に自分を見ることができる人は、改善しようとする精神を持ちあわせてるから「ほぼ誰にでも愛される人」になれるのかなあと思ったりもします。

しかし残念ながら、そういう人たち(自己チュウ)はそれをする(しようとする)能力を持ち合わせていません。

まあ判っていれば最初からそんな事はないのでしょうけれど・・・

じゃあそういう私自身はそれが出来ているのかといえば、正直なところ判りません。

もちろん自分自身では心掛けてるつもりではありますが・・・でもそれを評価できるのは私を取り巻く環境の中にいる人たちであって私自身ではありません。

だから私自身ではそれを自分で評価することはできません。

けど、今までの経験でこれだけは言えます。

私と正反対の人たち(自己チュウ)は、周りからどんなに注意・指摘されようが絶対に心を開きませんし、もしそれをしようものなら、その人は自分の事を一方的に否定されたと捕らえ、矢のように反論してきます。

やはり自分に都合のいい「屁理屈」を並べ立て、「ああ言えばこう言う」みたいに・・・

私はこういう人たちと分かり合える事はこれからも絶対にないでしょう。

しかし残念な事に、こういう自己チュウな人たちを評価する社会・システムが成り立っているという現実もあります。

どんなに人として正しい事を貫いていたとしても、会社・組織・団体の意向にそぐわなければ、容赦なく切り捨てられます。

逆に人として間違った事を平気で仕出かしてるような「人間失格」みたいなやつでも、会社・団体・組織の意向に沿っていれば、そいつの方が評価されてしまう世の中・・・

「相手の人によって、態度が180度変わる人間」

「自分の評価を上げようとする事に必死で、上司にゴマをすってばかりの人間」

「その上司に対して自分の評価を上げようとして、周りの人を平気で出汁にする人間(のクズ)」

「金儲けの事ばかり考えてる人間」

「平気で嘘をついたり人をダマしたりする人間(のクズ)」

しかし悲しい事に、こんな人間たちが組織に評価されたり、ヘタしたらトップに立ってなりたっているというやりきれない現状があります。

幼少期から学生時代に教えられた「正義・平等・思いやり・民主主義」って一体どこに・・・

こんな社会の汚い現実を嫌という程目の当たりにさせられ、一時期「人間不信」に陥ったときもありました。

その時期は悩み、苦しみ、自問自答の毎日でした。

「やはり正直者がバカを見る世の中なのか?」

「これから自分はどういう方向性で生きていけばいいのか?」

「俺もやつらと同じように要領よく、自分の好き勝手に主張していったほうがいいのか?」

「周りのことは気にせずに自分の事だけを考えて生きていけばいいのか?他人がどうなろうが知ったこっちゃあない?でいいのか?」

そんな事を考えていた時期もありました。

しかし今思えばこれはとんでもない事です。

そうまでして自分だけが幸せになろうと思わないし、それが幸せだとは到底思えません。

やはり私はこれからも今までと同じ信念を持って生きていきたいですし、そうしなければ自分自身でなくなってしまうような気がするからです。

けど「誰にでも愛される人」にはなれないでしょう。

先程にも述べたように、人間は人それぞれでいろんな個性の人がいます。

そしてそうである以上、自分と波長の合わない人は存在します。

個人的にはそんな人たちを愛そうとは思いません。


また、愛されようとも思いませんし、愛されたくないです。

ちょっと突拍子もないことで賛否両論はあるかもしれませんが・・・


社会という共同体の中ではなかなか難しいかもしれませんが、『出世』よりも『自分らしさ』を大切にしたいです。


これって甘々でしょうか?