本日をもって、娘が卒乳しました!!


1歳になる1ヶ月前から、卒乳に向けて少しずつ授乳回数と量を減らし、

今日、見事に完了です。

特に泣くこともなく、あっさりと。

まさに断乳ではなくて、卒乳でした。


思い起こせば長い授乳生活。

出産後はなかなかおっぱいが出なくて、1週間後から母乳を始め、

約1年間、乳を与え続けました。


乳腺炎になったり、乳首がささくれたり血が出たりと、苦難もありましたが、

今になって振り返れば、すべてはいい思い出です。

そしていい経験になりました。


おっぱいを飲む娘の顔は、本当にかわいかったです。

特に、最初の頃は飲むのが下手で、お互いに苦労したのを覚えています。

少し軌道に乗ってからは、娘の顔をじっくり眺めるのを楽しみました。

口元が可愛かったり、私を見つめる目が愛おしかったり。

忘れようにも、きっとこの子が大きくなっても忘れられないだろうと思います。


卒乳という一大イベントを終え、娘は少し大人になりました。

ご飯をたくさん食べるようになり、おしゃべりも増えました。

(まだ、何を言っているかは分かりませんが)


夫が赤ちゃんだった頃、卒乳に際し、おっぱいをもらえないことに腹を立て、

三日三晩泣き続けたという話を義母から聞いていただけに、

娘の卒乳に対して、かなり身構えて覚悟をしていましたが、

予想に反してあっさりでした。

そういえば、まだ1歳にもならない赤ちゃんだった私に、母は

「今日からおっぱいはないよ、もう赤ちゃんを卒業だからね」

と、ひとこと言い聞かせただけで、本当に卒乳したと聞きました。

私はまったく泣くことなく、卒乳を受け入れたのだとか・・・

娘は、私に似て、聞き分けが良かったようです。


明日からは、赤ちゃんではなく、子ども。

もう乳児ではなくて、幼児です。

離乳食もほぼ完了しつつありますから、幼児食へ移行します。


娘は確実に成長しています。

今日は、夫にごめんなさい。


いつもいつも、一生懸命に仕事をこなし、

夜遅くに帰宅する彼は、

疲れているにもかかわらず、

遅い夕飯を食べながら、

妻にぐちぐち言われなければならない。


それも、妻のしょうもないグチ。

「朝、自分のパジャマをたたまなかった」

だの

「たんすの引き出しを開けたままだった」

だの

「昨日の夜、もう飲めないくせにビールを開けて

ほとんど残して置きっぱなしにした」

だの、妻がちょっと我慢すればいいはずのグチ。


たまには、逆ギレしたいところだけど、

疲れていて、そんな気力もない。


「ごめんね、次から気をつける」

と、妻に謝ってしまう。


確かに、妻は毎日朝から晩まで

育児と家事に追われていて、

遅くに帰ってくる自分にまでご飯を用意して

起きて待っていなければならない。

出勤の朝だって早い。

大変なのは分かっている。

協力したい気持ちだってある。

でも、自分は、会社で嫌な上司に文句ばかり言われ

たくさんの人に気を遣って、働いているのだ。

ちょっとくらいねぎらってくれたってバチは当たらないはずだ。


夫のこんな心の叫びが聞こえた気がする。

私は本当に優しくない妻だと思う。

いくら育児が大変だからって、夫だって同じくらい大変だし、

夫婦なんだから、たくさんのことつまらないことには目をつぶって

協力していく方が良いに決まっている。


もっと優しくなろう。

相手を思いやる心を持とう。


夫へ、いつもありがとう。

本当に感謝しているのに、言葉にできなくて、

グチばっかり言ってしまって、ごめんなさい。

こんなダメな妻だけど、頑張ります。

どうか、広い心で耐えてください。


娘が1歳になりました。


この1年、とっても早かったと思います。


去年の今頃は、育児のことが何も分からなくて、実家の母に何もかもを聞き、

とにかく、おっぱい・おむつ・抱っこの繰り返しでした。


それが、1年経つと、娘は一人で歩けるようになり、

家の中でも、あっちへ行ったり、こっちへ来たりと、とっても忙しそうです。


自分でご飯を食べることも出来るようになりました。

手づかみだったり、スプーンを使ったり、その日の気分によって使い分けているようですが、

とにかく、楽しそうに食べています。


娘の一つ一つの成長を目の当たりにすると

自分のこれまでの頑張りを認めてもらったような気がして

とっても嬉しくなります。

そして、娘への感謝の気持ちでいっぱいになります。


ありがとう、私のところに来てくれて。


本当に、素直にそう思います。


今日、娘は、去年は自分より大きかったウサギのぬいぐるみを抱えて

なにやら一生懸命話しかけていました。

何を話していたのか、お母さんに教えてほしいな:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

先週末、娘の安産祈願のお礼参りに行ってきました。


娘が無事に産まれて、すでに9ヶ月になろうとしています。

長いことお礼に行かなくて申し訳ないです。

この場を借りて、すみませんでした。


さて、ひよこたちが安産祈願に行ったお寺は、

とある山の、本当に山奥にあるお寺です。


びっくりするくらい駅から遠く、当時、すでに妊娠6ヶ月の腹を抱え、

ひよこは夫と二人でバスに揺られ、

なんと、1時間半もかけてお参りに行ったのです。


そのお寺では、参拝者の目の前ですぐにお経を上げてくれ、

そのときに腹帯ももらえるということで、

ひよこの上司に薦められて選んだお寺でした。


確かに、目の前で自分の名前を呼ばれ、お経を上げてもらえると、

信心もひとしお、といったところです。


おかげで、娘は五体満足、健康そのもので産まれてきてくれました。


再び、この場を借りて、

本当にありがとうございました!!


出産は決して安産だったとはいえません。

10時間苦しみぬいた挙句の、わが子との対面。

しんどかったけど、やっぱりわが子の顔を見たときの感動は

今でも鮮明に思い出せる光景です。


今回も、お礼参りのお経を目の前で上げてもらいながら、

今は元気に夫の膝の上で楽しそうにその光景眺めている娘を見て、


「ああ、生命ってすごい」


と人知れず、ひよこは感動していました。


約1年前には、夫と二人で登ったお寺の階段を、

今日は夫が娘を抱いて降りていく。


これってよく考えると不思議で、幸せなこと。


もう、娘のいない人生は考えられない。


もちろん、夫のいない人生もありえない。


わたしたち家族は、3人でひとつ、みたいなもの。


大事な大事な家族。


ほんとうに、ありがとう。

先日、岐阜に住んでいる祖父に会ってきました。


祖父は、3ヶ月くらい前から痴呆がひどくなり、

一人でトイレに行くことが難しくなりました。


九州のとある田舎に祖母と二人で長いこと暮らしていたのですが、

祖母も年をとり、二人だけの生活は無理だと、

親族が判断し、少し前に

岐阜にいる末娘(ひよこの叔母)のところで暮らすことになったのです。


久しぶりに会った祖父は、別人でした。


悲しいくらいに別人でした。



祖父は

いわゆる、ハイカラおじいちゃんでした。


誰よりも早く、新しい電化製品を買い、

ワープロに始まって、パソコン・インターネットと、

若い私たち孫よりも、最先端を走っていました。


私は、そんな祖父が大好きで、

本の話をしたり、お酒を一緒に飲んだり、

当時はまだ彼氏だった夫のことを話したりしました。

「結婚するの」

と私が言うと、祖父は

「そうか」

と一言だけ言いました。

嬉しそうでした。


温厚な反面、曲がったことが大嫌いな祖父は

時に、とても厳しくて、頑固でした。


でも、壊れたものを直したり、必要な家財道具を作ったりと、

生活に必要なことは何でも自分でできましたし、

つい2,3年前までは車も運転し、

無事故無違反という輝かしい経歴を持っていました。


酒にも強くて、ビールも日本酒も、

時にはウオッカも飲んでいました。

どんなに飲んでも酔わなくて、しゃんとした人でした。


そんな、しっかりした祖父が、私のことも分からなくなった。


それは、とても悲しくて、

トイレに行く祖父の体を支えたとき、

今までの半分くらいに細くなってしまった腕と背中が

言いようもなくつらくて、涙が出ました。



「おじいちゃん、会いに来たよ」


と声をかけても、

祖父は、まるで知らない人を見るように私を見つめました。


一度泣いたら、きっと止められない。

そう思って、私は涙をこらえ、祖父に7ヶ月になった娘を見せました。



祖父の表情は、少し和らいだように見えました。


「初ひ孫だよ」


そう言うと、祖父は微笑んで、娘の頬を撫で


「おー」


と力なく声を出しました。



祖父は泣きたかったのかもしれません。


孫である私の名前が思い出せなくて、

初のひ孫を目の前にして、どこの赤ちゃんか分からなくて・・・


一緒に泣けたらよかったのに。

祖父の悲しみを少しでも受け止められたらよかったのに。


なにか少しでもいい、ひとつでもいい。

祖父のために何かできたら。


可愛がってくれた祖父に、何も恩返しできない自分が

本当に悔しくて、

こんなに自分の無力さを感じたことはありません。


できるだけ会いに行こうと思います。

決して近くはないけれど、会いに行くことだけが

私にできるわずかな恩返しだと思います。