真面目でいっしょうけんめいなのに、上手く生きられないあなたへ

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魅力開花プロデューサーのAKIKOです。

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しばらくブログを書いていなかったら、訪問して下さる方の数がいっきに減ったAKIKOです、どーも。

 

ブログの世界もきびちいのぉ…(´・ω・`)

 

さて、催眠療法への長い道のりもいよいよラストです。

18世紀にメスメルが動物磁気による治療を始めてから20世紀半ばまで、催眠は長いこと誤解と偏見にさらされ、胡散臭いものというレッテルを貼られてきました。

しかし第二次世界大戦後、催眠治療で多数の戦争神経症患者が短期のうちに治癒していったことから、催眠の地位は向上ししだいに世間に認められるようになりました。

1955年にイギリス医学会が、1958年にはアメリカ医学会がそれぞれ医療における催眠の有用性を認定しました。

こうして催眠が治療法として認められるための長い道のりが、ようやく終わったわけです。ここに到るまで約200年の年月が必要でした。

 

催眠療法関係者の皆様、お疲れ様!!拍手拍手拍手拍手

日本における催眠の歴史はどうなっているかと言いますと、催眠が日本に入ってきたのは明治になってからで、一般に広く知られるようになったのは明治半ばになってからです。

 

当時は催眠術やメスメリズム、魔睡術といった言葉が使われていました。

 

魔睡術とはまたすごいネーミングです。笑い泣き笑い泣き笑い泣き

そのころの研究者として大沢謙二や井上円了らがいます。また催眠によって医療的治療を行った人物に馬島東伯(まじまとうはく)がいます。

一方、大衆の間では娯楽・演芸として催眠術がもてはやされました。メスメルの時代とまったく同じですな。(´・ω・`)

明治30年代後半になると、催眠が庶民の間で大流行しました。

 

催眠に関する本が続々と出版され、民間で人に催眠を教えたり催眠を使って治療するものが多数現れたそうです。

 

今の日本のスピリチュアル業界とまったく同じ状態です。歴史は繰り返すんですねー。

明治39年、東京帝国大学助教授で心理学者であった福来友吉(ふくらいゆきち)が「催眠心理学」を著しました。

 

「催眠心理学」は日本で初めて催眠を学術的に体系だててまとめたもので、催眠研究の発展に大きく貢献しました。

 

しかし福来は催眠による千里眼や念写の実験に関わったために非難され、辞職することになりました。

 

このエピソードを元に、映画「リング」が作られたのはご存じの通り。

 

 

 

明治41年に施行された警察犯処罰令で催眠の使用に関する規制・取締りが出されたことにより、催眠ブームは急速に去り学問的研究の動きも鈍くなりました。

 

それでも催眠術は呼び名を変えて存続していきました。

 

催眠は宗教を隠れ蓑にして生き延び、第二次世界大戦後は各分野でふたたび催眠が研究されるようになりました。

 

研究者たちは「催眠術」という言葉をやめて「催眠」という言葉を使うように提唱しました。

宗教を隠れ蓑にして生き延びたっていうのが泣かせますなぁ。当時の研究者達の苦労が偲ばれます。(´;ω;`)ブワッ

 

過去の弾圧が祟ったのか、現代日本医療における催眠の地位はまだまだ低いように思われます。むしろ民間のセラピストの方が層が厚い感じですよね。

きちんと使えば本当に可能性を広げてくれる素晴らしい技術ですので、もっともっと手軽に利用してもらえればと、切に願ってやみません。

と、ゆーことで。みなさん、ヒプノセラピーにレッツ・トライ!!