ビバリー・クリアリーの「十五才の頃」をついにゲットしました!
ビバリー・クリアリーはアメリカの児童文学作家で、日本では「ゆかいなヘンリーくん」シリーズや、
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がんばれヘンリーくん (ゆかいなヘンリーくん 1)
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ひとりっ子エレンと親友などの作品で知られています。
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ひとりっ子エレンと親友 (新しい世界の童話シリーズ)
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クリアリーは児童文学の他にも少女向け作品をいくつか書いていますが、今読めるのは「十五才の頃(フィフティーン)」だけだと思います。
「十五才の頃」は昭和38年にティーン向け小説の元祖ともいうべき秋元書房で出版され、その後東京書籍で翻訳しなおされて出版されました。
AKIKOが最初に読んだのは東京書籍で出版された「フィフティーン」の方です。
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フィフティーン (シリーズ・永遠のアメリカ文学)
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舞台は1950年代のアメリカ。豊かさとエレガンスと自由と拠り所とすべき規範があった頃。
十五才の平凡な少女ジェーンが素敵な男の子スタンと知り合い、小さなデートを重ねながら自己成長をしていくという、まさに少女小説の王道というべきストーリーです。
この作品の凄いところは、家・学校・ご近所という狭いスペースの中でストーリーが進行し、主人公が成長していくというところ。
今のラノベだと主人公が異次元に飛ばされたり、そうでなくても何がしか別の世界(大人社会とか芸能界とか)に関わる事で成長していきますよね。
むかしとあるラノベ作家さんが作品のあとがきに「主人公に絡む相手は大学生以上が良い。車を持っているから。高校生だと行動範囲が狭い」ということを書かれていましたが、それって風呂敷を広げないと面白い作品が書けないということでは…?
いや、面白ければいいんですけどね、面白ければ。
逆に言えば舞台を広げずに面白い作品を書けるクリアリーは、本当に実力のある作家だと言えます。
好きな人に好意を寄せられる喜び。同時に平凡でさえない自分に対して沸き上がる失望。自分より大人っぽい同級生に対する妬み。ボーイフレンドがいない他の女の子に対する小さなマウンティング。どうでもいい男の子との見せつけのキス。
そういった出来事を経て主人公ジェーンが気づく、ありのままの自分だからこそ好きになってもらえたという事実。そして自信を持つという事の大切さ。
その後ジェーンは自分らしく振舞う事で周囲の人気を得、そして大好きなスタンのステディになるという、お約束な(笑)展開で物語は終わります。
平凡と言えば平凡ですが、だからこそ時代が変わっても共感する素敵な物語です。
AKIKOが今回手に入れた秋元書房版の方が当時のアメリカや日本の雰囲気を感じられますが、現代人が読むには東京書籍版の方が適切かなと思います。
表現の仕方にも時代が出るんですよねー(;^_^A
スタンが初めてジェーンの家を訪れた時、ジェーンのお母さんはちょっとしたお洒落着に着替えてスタンを迎えます。
東京書籍版では「ストッキングをはいていた」となっていますが、秋元書房版は「靴下をはいていました」になっているんですよね。
さすがにストッキングを靴下表記するこたーないだろうよ、と思っていたら。昭和30年代の日本ではストッキングもひっくるめて「靴下」と呼んでいたそうです。
という事は、昭和30年代にこの作品を読んだ少女たちは「お母さんは黒っぽい麻の服に着替えて、靴下を履いていました」という文章でも、ちゃんと黒のお洒落着にストッキングを履いたお母さんの姿がイメージ出来ていたという事なのでしょう。
他にもジーパンがジーン・ズボン、チョコレートソーダがチョコレート・クリームコーラになっていたりして。そんな時代のギャップもまた楽しい秋元書房版「十五才の頃」なのです。
しかし。ありのままの自分として振舞うことの大切さに気付いた1950年代のジェーンが、コテコテの仮想現実を創り上げてフェイスブックやインスタグラムで世界中から「イイね!」をもらっている2018年の女性達を見たらどう思うのでしょうかね?



