「執着」と「強い願い」
その違いをずっと考えていた。
 
きっと誰にでも叶えたい夢とか願いってある。
でも、欲しい欲しいと強く願い、
あがいている時ほどそれは手にはいらない。
 
あきらめかけて、
手に入らなくてもまぁいいっか。
 
なんて思っていると、
手に入ってびっくりしたりする。
 
でも本当にあきらめちゃうと手にはいらないのも確か。

「執着しないで、純粋に心の底からそれを願う時、願いは叶う」
「たとえこの願いが叶わなくても、とっても幸せな私でいる」
「「不安」「心配」にかられてると、それが叶ってしまう」
「もうすでに願いは叶っている事がはっきりイメージできた時、願いは叶う」
「イメージがしっかりできるようになったら、
そのことは忘れて、日々プラスのパワーを自分の中に溜めていく」
などなど、
 
自分の願いが叶った時を振り返ってみると、
最近よく言われるイメージトレーニング的な
成功術などが確かに効果があるよねっ!
って思うけど、
自分の意志でなかなかできなかった。

どうしても、「強い願い」は「執着」になってしまう。
お遍路で歩きながら、そんな事を考えていた。
 
お遍路のいいところ。
 
とにかく景色が綺麗!
そしてお寺の神聖な澄んだ空気。
黙々とただ歩く。
これがまた不思議なくらい楽しい!
 
そして、、お接待など人々との温かな触れ合い。
気づくと、心の中はポカポカ、ウキウキ、ワクワク。。
そんな時に、ふっと心に浮かぶ願いには「執着」はない。
 
宿に戻ってテレビとか見てると、
一気に「執着」が溢れてくる。
だめじゃん。。
 
でも、そんな毎日を過ごしていると、
何の努力もなく「執着」を
心の中から消している時間の方が圧倒的に多くなる。
 
気づいたら、「執着」が顔を出しても、
簡単にそれを捨てることができるようになってきた。

お遍路へ来て願いが叶う、
病が治るという事実は、
もしかしてこういうことなんじゃないだろうか。
 
心を込めてお遍路をしている人は、
願いを叶えるプロセスを知らないうちに踏んでいる。
 
きつい時が一時あったとしても、
苦しむ事なく、
頑張る事なく、
楽しく廻るうちに、
自然と願いが叶ってしまうのだ。
 
だから、
歩こうが車だろうが関係が無い。
 
日々のこだわりを捨てる旅がお遍路なのだと、
言われるのではないか。
 
そして、歩くの方が楽しそうだ、
自然や地元の方との触れ合いから頂く喜びを感じたいと思う方は、
歩きの方が御利益が多いのかもしれない。
 
なんて思った。
 

とにかく、不思議な、
心の中や体中に光が溢れ出てくるような旅です。
 
もし少しでも興味がある方は、
ぜひ!車でもいいから行ってみて!!
 
車なら10日くらいで廻れるみたいですよ☆
 
歩きたくなれば途中から変えてもいいし、
2回目に歩いてもいいし♪
 
あ、あと弘法大師さまは、
強欲や悪事には手を貸してはくださらないので、
善い願いしか叶わないみたいです♪
 
なので、自分の願いが善いのか
悪いのかわからない時も、
安心して願えます☆

あ、そうそう、
明日、あさっては大寒波がやってくるみたいですねっ(> <)
ううっ。。明日、あさっても家にこもっているしかないのかしら??
みなさん、風邪など引かぬよう気をつけてくださいねっっ☆