こんにちは!

 

 

 

なぎさです!

 

 

自分のアダルトチルドレンにも

夫の発達障害にも気が付かず

 

 

毎日悩みは尽きませんでした。

それは全部夫のせいだと思っていました。

 

 

 

それでも子供たちが小学生で

距離が近かったころは

子供のことを考えたり世話をする

何より子供がそばにいてくれることで

淋しさはまぎれ

気持ちはそこまで落ち込むことはありませんでした。

 

 

こんな楽しいこともありました。

 

 

 

父が外国航路の船員だったこともあり

わたしは幼いころから

外国に興味があり

唯一母がわたしと遊んでくれた思い出は

 

 

英語のレコードとプレイヤーで

一緒に英会話を聞いて、まねをして

楽しんだことだったので、

 

 

勉強、勉強という母への反抗心から

中学校でも

高校でも熱心に勉強したことははかったのに

本心では英語を話せるようになりたいと

強く思っていたようでした。

 

 

 

子供の中学校で時々

自信はないながら

英語のボランテイアに

手をあげたりしていました。

 

 

 

そんなころ

近所の教会に

なんとアメリカ人のファミリーがきて

英会話を教える、という話が舞い込んできました。

日本に住んで、その期限はいつまでか決まっていません

 

 

それを聞いただけで私の心は

なぜか嬉しくて舞い上がりました。

 

 

すぐに本屋さんに行って

中学生の英語の基本から

問題集も最初から終わりまで全部復習

ラジオ英会話も聞いて

練習しました。

 

 

わくわくが止まりませんでした。

 

 

そんな私は

そのアメリカ人ファミリーの

日常のお世話や

英会話クラスの補助をするようになったのです。

 

 

私の人生に思いがけなく飛び込んできた

本当にやりたいことをするチャンス!!

 

 

わたしはこのアメリカ人夫婦と話す為に

テキストをかって

毎朝ラジオ英会話を聞いて

その日の英文を全部暗記して

空でいえるまで一人で喋って

 

 

そして

英会話クラスを手伝いに出かけました。

 

 

毎日勉強した時間は

まる二時間

 

 

これまでの人生の中で

私がほんとにやりたい、と思ったことは

すべて母から取り去られていたので

ここまで熱心に何かに没頭したことは

ありませんでした。

 

 

 

わたしはこの勉強したことを

無駄にしたくない

使わなければすぐにしゃべれなくなる

と考えて

さらに勉強を続け

 

 

 

近所の

大人も教えている英語塾に行き

英語検定を次々と受けたり

英語を教える資格を取ったりして

 

 

 

やがて

英語を教えてみたい、と

英語教育をしている会社の

英語講師になることができたのです。

 

 

 

このころ

夫はどうしていたかというと

私のやっていることに無関心

 

 

 

でも

口出しするでもなく

もちろん文句も言わない夫は

妻が夢中になることがあるときは

ある意味

ありがたい存在なのかもしれません。

 

 

 

 

このころの私は

夫との関係も

つらかった過去のことも

何一つ解決はしていなかったけれど

なんとなく

忘れていられる時間が増えていました。

 

 

 

カサンドラにならない為には

夫とは別の世界を持つ!

とはよく言った物で

私は夫の事を忘れて没頭できる物を持ち

 

 

 

自分の心と向き合って

本当に自分の問題に取り組もうとするより

何かを達成して自己実現すれば

いつか心から幸せになれる、と

幸せを自分の心の外側に求めていました。

 

 

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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