こんばんは!

 

 

なぎさです!

 

 

 

前回のお話はこちら↓

さて、検査を受けることなく

心配しながら次男を大学の近くに下宿に送り出し

 

 

文字通り

グレーのまま

次男は

それからどうなっていったのかを

お話ししていきますね。

 

 

大学では

すぐに

テニスサークルに入って

はじめての大学祭のとき

夫と二人で見に行った私と

 

 

学校内を端から端まで一緒に歩いてくれて

口数は少ないものの

サークルの仲間に

 

「僕のお母さん」

 

と紹介してくれました。

 

 

 

学生たちが

思い思いにブースを出して

呼び込みをしている

活気ある雰囲気は

とても楽しい物でした。

 

 

息子が大学生活を送る中で

交流を持てたのは

その一回かぎりで

次の年も

「楽しかったからまた

行きたいと」言いましたが

 

 

「もうええやろ」

と断られてしまいました。

 

 

案の定

普段彼からの連絡はいっさいなく

 

 

二年の時には

はじめにはいった下宿の

料理が食べられないから

下宿を出たい!

 

 

というので

それなら

帰ってきて家から通えば?

 

 

と言ってみましたが

一度覚えた

自由と、

通学の楽さから離れたくないのも

あたりまえ

「帰りたくない!」

 と。

 

 

一緒に

手頃な下宿を

さがしましたが

結局

もっとバイトをするから

家具付きの高めのアパートを

ゆずらず

 

 

それからは

時給の高い夜勤のアルバイトに専念していたようです。

 

 

「バイクに乗りたい」

と強く言うので

 

 

バイクには乗らないでほしいと

車の免許を取らせたのに

 

 

知らない間に大型の免許を取っていて

バイクまで買って

 

 

 

連絡がないので

アパートに行くと

階段でばったり会ったのに

 

 

他人のように

スルーして通り過ぎたり

 

 

親から離れて

なんでもしていいんだ!

 

 

と思っているようでした。

 

 

自分の思ったことは

親とは関係なく黙って貫いていました。

 

 

次男はおとなしいけれど、

活発な長男より

実は独立心がおおせいな

予測のつかない行動を

 

 

ただただ

見守るしかできない

 

 

ただ

根はクソが付くほど真面目で

ルールは絶対守る

 

 

親の存在は

お金...

 

みたいな滝汗

 

 

 

経営学部だったため

「マルサになりたい」

 

 

と言い出したので

先生に相談すると

 

 

専門的な勉強をしないとなれない

といわれて

「本当にその職業に就きたいなら

なんとか助けてあげるから

この学校にいったら?」

 

 

とパンフレット

を出してみると

 

 

新たな勉強がたくさん増えるのが嫌だったのでしょう

 

 

「やめとく!!」

 

 

とさっさと

発言を撤回しました。

 

 

このあと

いよいよ

就職活動に入るのですが

 

 

ここでも

要領のいい次男らしさ全開で

自分の道を進んでいきました。

 

 

 

次回のお話はこちら↓