こんにちは!

 

 

なぎさです!

 

 

高校三年生

受験した短大からの合格通知を見た

私の目からは

あとから、あとから涙が溢れて

止まりませんでした。

 

 

あの時なぜ泣いたのか、今でもはっきりとはわからないけど

初めて自分で決めて、やりとげたという

感動の涙だったのかもしれません

 

 

 

たとえ母が

大学に行かないで、と言っても

そんな言葉がかき消されるぐらい

「よくやった、わたし」

という本音の涙だったのです。

 

 

 

前回のお話はこちら↓

合格通知を握りしめて泣いている私の背中を見ていた母は

どんな気持ちだったのでしょう。

 

 

それでも母は

進学しないでほしい、と私に懇願してきました。

 

 

後になって知ったことは

引っ越したばかりの大きな家に

支払うローンが大変だったという事です。

 

 

その時は

ちょうど父の休暇の時で

毎日のように、進学するな

と私に迫ってくる母に

父が一言

 

 

「頼むから行かせてやってくれ、

お父さんの心からの願いだから」

 

 

と言ってくれたのです。

 

 

大きな家を建てる、

子供を大学へ行かせる、という事は

 

 

 

僧侶だった父親を早くに無くし

自分でお金を稼いで

船乗りになる学校を卒業してすぐ、

就職をした

父のプライドだったのかもしれません。

 

 

父の願いと私の願いが一致したから

救われた、と言う事です。

 

 

そんなこんなで

危機一髪

私は無事

短大へ進学することができました。

 

家から一時間半以上かけて

バイク→電車を二つ乗り継ぐ

大学へ行くための

交通費は自分でアルバイトをして稼ぐ約束でした。

 

 

入学式の日は母ではなく

父が付き添ってくれました。

 

 

 

父と二人で駅から大学まで15分ほどの

道のりを

一言もしゃべらずに黙々と歩きました。

 

 

 

今思えば

何でも親が勝手に決める

必要な情報も共有しない

不思議な家庭

 

 

 

親の本音を聞いたことがないため

心の距離はいつまでも

縮まりません

 

 

 

 

そこに

事情を説明する会話や

何気ない雑談があったなら

お互いにもっと

相手を思いやることができたと思うけど

 

 

 

この機能不全家族の中では

家の事情は

薄々感じるだけのもので

本当のことは

聞いちゃいけない

本音を言っちゃいけない

と感じていました。

 

 

 

 

ローンの支払いがたいへんなことも

入学式に母ではなく

父が来るという事も

親の口からきくことはない

 

 

 

もちろん

帰り道にお昼ご飯を一緒に食べて帰る

ということもなく

 

 

父とただ一度

黙って大学までの道を

行って帰った思い出

 

 

本来

子供は親の本音を知りたいもので

 

 

その日以前にも

その後も

父と二人きりになれることは

なかった

 

 

 

その又とないチャンスに、

 

 

 

お父さんと一緒に

お店に入って

何か食べて帰りたかったなあ

 

 

 

お父さんと一度でいいから

ざっくばらんに話をしてみたかったなぁ

と思いながら

 

 

 

 

どこかいつも子供から距離をおきたがる

「本音がわからない」父の後ろ姿を

私はその後も長い間

追いかけ続けることになるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回

あの頃の大学生活とは

に続きます。