こんにちは!

 

なぎさです!

 

 

 

なぜ、

私がアダルトチルドレンになったのか、

これからお話ししていくうえで、

原点となるお話を思い出したので

書き加えることにします。

 

 

 

前回の記事はこちら↓

 

 

 

 

 

それは私の、

三歳の七五三の時のお話しです。

 

 

 

実際にはどんなお参りをしたのか、の部分は

記憶にはないのですが

 

 

写真で見るわたしは

髪をアップにしてかんざしをつけ、

 

 

赤い地に

白や淡いピンクの花が描かれた着物を着て

ちょっと高い下駄をはいて

 

 

手には千歳あめをもって

ニッコリ微笑んでいます。

 

女の子の三才の七五三の姿は

我ながら、ほんとにかわいいです。

 

 

その日は

母(母は3歳の頃に養女になっていました)

の養父と養母とともに祝ってもらっていました。

 

お参りの記憶はなくても、

養父たちの家の食卓での風景と

そこでおこった出来事だけは

鮮明に覚えています

 

 

 

丸い食卓には

大きな鯛がのっていて

たくさんのごちそうがならべられ、

 

 

なごやかに食事がはじまりました。

 

 

おじいちゃん(養父)も

「なぎさはかわいいのう、ほほほ」

とご満悦

 

 

 

私のお祝い

可愛い着物

たくさんのごちそう

 

 

 

 

今日はとてもいい日なんだニコニコ飛び出すハート

という喜びで

とても嬉しかったのを覚えています。

 

 

 

 和やかに食事はすすみ、

おじいちゃんが

横に座っていた母に

 

 

 

「ご飯一杯」

と、お茶碗を差し出しました。

 

 

 

食卓の上に置かれたおひつのふたを開けて

母がおじいちゃんのお茶碗に

ご飯をつぎました。

 

 

それは、

 

 

 

いっぱい

 

 

お茶碗にいっぱい。。。

 

 

 

それは盛り上がっていて、

ちゅうもり

と言ったところでしょうか?

 

 

 

手渡した母に

養父は

 

 

 

一杯と言ったんや!!

 

いっぱいとちゃうわ~~

 

 

 

と大声で怒鳴り散らして

パ〜ン!!

と払いのけ、

 

 

 

お茶碗は

どこかに飛んでいってしまいました。

 

 

 

そこで、

三歳の私がちじみ上がって

驚いたのは言うまでもありません。

 

 

 

母の横顔はおびえており

それは、

初めて怒られたという姿ではなく

 

 

 

養父にビビっているように見えました。

 

 

 

 

今思えば

そもそも、

そんな失敗をしたのも

初めからおじいちゃんが

怖かったからかもしれません。

 

 

 

 

私は

自分も泣きそうになるぐらい怖いけど

 

 

 

 幼いながら

みんなの前でそんなに怒られるお母さんが

とてもかわいそうでした。

 

 

 

でも、

この怒り方は

 

 

 

その後

母から私へ

度々向けられた怒り方と同じで

 

 

 

怒ると火が付いたように怒る

はげしい暴力もいとわない

 

 

 

私が硬貨をなくしたあの時を始まりに

 

 

 

私が成長するにつれ

それはだんだんと

エスカレートして行ったところを見ると

 

 

 

母の中に溜まった養父母への怒り、

生い立ちへの怒りは、

憎しみになるほど

母の心の中にたまっていて、

 

 

 

それは、

すべて長女である私へ

吐き出されていったのです。

 

 

 

この日の出来事は

小学校にあがってからの

私のこと、家族のことを

お話しをしていく上で

避けては通れない、

 

 

 

悲しい母の生い立ちを

彷彿とさせる

出来事でした。

 

 

 

 

次はいよいよ、

小学校に上がってからのお話しです。

 

 

 

 

次回

新しいお家へお引越し

へ続きます。