こんにちは!

 

 

なぎさです!

 

 

 

昨日の記事はこちら↓

 

楽しく過ごした

幼稚園時代も終わりに近づき

恐怖の時代の幕開けが近づいています。

 

 

が、

 

 

今日はまだ平和な頃のお話し

 

 

 

ある日私と母は

幼稚園の廊下を

手をつないで歩いていました。

 

 

 

母が優しい声で

「なぎさちゃん、

ピアノとバレーどっちを習いたい?」

と聞いてくるのです。

 

 

 

私は頭の中で

「ピアノ?あ~先生がいつも弾いてるあれね!」

(心の声)

 

「バレー?白いタイツのあれね!」(心の声)

 

 

となんとなく思いながら

 

 

「う~ん、ピアノ~!」

 

と言っちゃったんです笑い泣き

 

 

あ~、出来る事ならこの時に時間を巻き戻して

「バレー!」と言わしてくれ!!!

 

 

しかし現実には

私の何の根拠もない

口から出まかせの発言は採用され

 

 

 

私と母は

すぐさまピアノの体験レッスンに

向かったのでした。

 

 
 
そして、

なんだかよくわからないけど

楽しいとも思わないけど

その日から私はピアノを習うことになりました。

 

 

 

せめて、バレーも体験させてから決めてくれたらよかったのに爆笑

 

 

 

 

 

あれは

確か、二度目のレッスンの日

同じクラスの

くつやさんの真紀ちゃんのお母さんが

 

 

「なぎさちゃんが習ってるんだったら

うちの子にもやらせようかしら」と

 

真紀ちゃんを連れて体験にやってきました。

 

 

 

優しく声をかける先生

椅子に座った真紀ちゃんは、

私と同じように

ポツポツと鍵盤をたたくんだろうな

疑うことなく思っていた私を尻目に

 

 

 

真紀ちゃんは

椅子から降りて

 

 

 

そこにあったカスタネットを左手に持ち

 

 

 

右手でパンパンパンパン!!!!

と激しくたたきながら

床を這いずり回ったのです。

 

 

 

真紀ちゃんのお母さんは

苦笑い爆笑

 

 

 

「あっ、ごめんなさい、

この子にはあわないみたいです~😅」

 

 

と申し訳なさそうに

そそくさと、

二人で部屋を出ていきました。

 

 

 

私はあっけにとられて

 

 

 

「いやな時はあ~やって表現するのかぁ」

といいことを教えてもらったような気持ちで

ぽか~ん、と見ていたのを思い出します。

 

 

 

実際は

従順な私は

 

 

 

ピアノが楽しいとも

好きだとも思っていなかったのに

それから10年近くも

ピアノを習い続けたのです。

 

 

なんせ、

50円玉だったか、

100円玉だったかの硬貨をなくして

母が激怒したあの日に

 

 

 

この人のゆうことは聞くんだ!

 

 

コマンドが発動されていたのですから

たいていのことは言いなりです。

 

 

 

そして、

好きでもないピアノがものになるわけもなく

10年の歳月は水の泡と化していったのです。

 

 

 

今の私ははっきり言えます

私はバレーのほうが好きだった!!と。

 

 

音楽に合わせて体を動かすって素敵じゃないですか

 (もちろん、楽譜を見ながら音を奏でるのがすき!

自分で演奏したい!と言う方もたくさんいらっしゃるし、素敵です)

 

 

 

 

 からだを動かすことが好きな私のことだから、

もしあの時バレーを選んでいたなら、

もう少し

その後のつらい毎日のストレスを発散できて、

楽しい思い出もできたんじゃないかな?

 

 

 

 

 

 優雅に踊って

姿勢もすっとして

顔も小さくなって

足もモデルみたいにすらっと長くなって

 アンドゥトワ アンドゥトワ

 

 

 

 

 

あ~~~

 

 

 

 

 なんであの時…

(かなりひつこい)

 

 

 

 

 

 

いつまでも

勝手な妄想は

膨らむのでした(笑)

 

 

 

 

 

 

次回はいよいよ

第二章の幕開けです。

 

 

新しいお家へお引越し

に続きます。

    ↓

  

と予告しましたが、もう一つ

思い出した

カナメとなるお話しがあるので

変更します。

 

 

 

次回は

涙、これが母の原点、七五三の思い出

です。