こんにちは!

 

なぎさです!

 

 

昨日のブログでは、初めて妹が登場し

私より2歳年下の妹より、

母が私を溺愛していたようだ、と

書きました。

 

 

昨日の記事はこちら↓

 

 

私は5歳になり、近所の公立の幼稚園ではなく、

電車で5.6駅離れた町にある私学の幼稚園へ通い始めました。

 

 

その園は制服が可愛く

紺色のベレー帽に

白いブラウス

サスペンダーのついた三つ折りのボックススカート

靴は黒の革靴に決まっていたと思います。

 

母が選んだ靴下は

いつも三段フリルのついた白いソックス

 

 

母と電車に乗っていくその道のりは楽しく

 

 

帰りには大きな商店街で

買ってもらったお惣菜を

その場で食べたり、

 

 

 

同じクラスの子のお父さんがやっている

お寿司屋さんでお昼ご飯を食べて帰ることもありました。

 

 

 

母にとって私は自慢のかわいい子で

幼稚園の発表会で演じた劇の中で

7人なることができる、主役級の役柄をもらったのも

母はとてもうれしそうでした。

 

 

 

ですから

私もその役を演じることが

とても誇らしかったのを覚えています。

 

 

 

先生もとても優しく

夢のような日々が過ぎていきました。

 

 

でも.....

 

 

私はいつも母と2人で

行って帰って

そこに妹の姿はありません。

幼い私にとってはそれは当たり前の日常でしたが…

 

 

 

2つ違い、3歳の妹

 

 

 

ある日、園長先生が血相を変えて

母に話しかけていました。

 

 

 

 

家の玄関のドアが割れて

妹がけがをしている

近所の人から連絡があり、

私と母は慌てて家に帰りました。

 

 

 

 

アパートについてドアを開けると

そこには

 

 

 

スコップを左手に持ち

仁王立ちになった妹が

激おこぷんぷん丸になって

立っていました。

 

どうやら玄関のドアにはめ込まれた

ガラスをスッコプで割ったようです。

 

 

 

けがはなく、

ほっとした母は

その姿が可愛くて

笑っていました、が

 

 

 

私はその時初めて

妹がここに1人でいたんだ、

という事に気がつきました。

 

 

 

 

この事件で

いつも母が妹を一人で家において

私と出かけて

時にはお寿司まで食べてかえっていたんだな

 

 

 

 

と思うと

妹の心に

負の感情が溜まっていかないわけはなく

 

 

 

 

それも

その後、私と妹が

いつまでも仲良くなれなかった理由の

一つだったんだなあ、

と、今の私は心が痛みます。

 

 

 

 

次回、

アトムの人形とひな祭り

に続きます.