縄文神社は、縄文時代の遺跡と神社が重なっている場所を意味する造語だそう。
沖縄の御嶽(うたき)を訪れた際に、こういう何ともないスポットが、実は本来の祈りの場なのではないかと思ったことがありました。
もちろん、立派な寺社や仏閣のあるところもそうだと思いますが、何もないのに今でも守られているのはすごく不思議ですよね。
忘れ去られてしまうことなく、今でもお手入れをして、大切に祈りを捧げている人がいるのでしょう。
武藤郁子さんの『縄文神社』(飛鳥新社)を読みました。
すごく納得してしまいました。
祈りって、御利益をいただくためとは限らないですよね。
ただ感謝したくて祈ったり、誰かのために祈ったりもするはずで、自分のためばかりではないものですよね。
素朴だけれど今でも守られている御嶽を思い出しながら読了しました。
祈りって、本来はシンプルで、気持ちがあってこそのもの。
心と意識を祈りに向けていけば、きっと届くもの。
そう思っています。