誰もが唯一無二の存在で、その人がこの世から消えれば、もう会うことはできません。
つまり、誰もが特別なのですよね。
でもそうなると、自分も特別、他者も特別で、この世の人全員が特別な存在となってしまいます。
ということは、特別はすべての人に与えられているもので、誰1人として特別ではないことになるのです。
そんな風に考えているので、「特別」という冠は、あってもなくてもよいことになります。
これは人間に限ったことではなく、ほかの動植物にも当てはまるでしょう。
確かに、可愛がっていたペットは自分にとって特別かもしれません。
でも、それを言ったら、ほかの人が可愛がっているペットも、飼い主さんにとっての特別となり、特別なペットしか存在しなくなるのです。
特別な能力や才能も似たようなものでしょう。
小さな括りの中では特別だったとしても、大きな括りに出れば、もっとすごい特別があるかもしれませんし、別の能力や才能で特別な人も存在するはずなので、よくよく掘り下げていくと、誰もが何かしらに関する特別を持っていて、これもまた全員が特別になってしまうでしょう。
何かと何かを比べるのは本当につまらないことです。
誰もが特別なので、誰も特別ではないのですから。
ということを考えたのは、最近、SNSで見かけるハニトラ(ハニートラップ)の話題を目にしたから。
ハニトラにかかる人は、相手がただのハニーであることを忘れ、自分に対しては特別な気持ちを抱いてくれていて、きっかけはハニトラだったとしても、実は本命になってしまったのだと、自らを特別視しはじめるからなのではと思います。
これは、既婚者と交際する独身者が、不倫は遊びで、最後に不幸を見ることは重々わかっているけれど、「私たちに関しては違う。だって、2人とも本気で特別なのだから」と思い込むことにも似ている気がするのです。
自分を特別扱いすると痛い目にあう……個人的にはそう考えています。