快楽というと、エロス系イメージを思い浮かべる人もいるかもしれませんね。
気持ちよく楽しむこと全般が快楽になるので、エロスだけでなく、あらゆる快適さにもつながるという認識で使っています。
快楽主義は、苦を避けて快を求めることですしね。
ところで表題の件です。
快楽は心地よさや気持ちよさですから、その人にしかわからないこととも言えます。
誰もが苦しみそうなことは却下したとしても、すごく小さな快不快は、人によって異なるので、厳密には本人にしからわからないからです。
だから、快適さは自分で整えないとダメということになります。
幸福にも同じことが当てはまりますよね。
幸せになりたいんですと、占いに来られる方は多いですが、「あなたの幸せは何ですか?」という問いに、すんなり答える人はほとんどいません。
「結婚してください。幸せにしますから」と言われ、「あなたにとっての幸せってなんですか?」と聞くと、「あなたと結婚することです」と返され、「わたしは自由に独身を楽しむことが幸せだと思っているので、一緒に幸せにはなれないということですね」とお断わりしたという話は、まさに、幸せは人それぞれという事例でしょう。
主観的なものである快楽と幸福は、当人にしかわからないもので、当人が自ら得ていかないと、ずっとつかめないものなのです。