霊が見えることがあっても、見ようとして見ることはできませんが、音や気配に気づくことがあります。
ゾッとする気配を感じることは滅多になく、大抵、「なんだろう。何しに来たんだろう。気にせいかもしれないな」くらいで、結構ラフな受け止め方です。
個人的な霊に対する考え方があります。
霊を霊として扱いすぎない方が、コミュニケーションがとれるということです。
壊れているわけでもないドアが、何度閉じてもすぐに開くことに腹が立ち、「これは霊がわざといっているな」と気づき、「いい加減にしてよ。開けたら閉められるよね!」と、夜中に怒鳴りつけたら、それ以降、ドアが開かなくなったことがありました。
また、よくない感じのものの気配を感じ、放置しておいてはいけない。好き勝手にはさせないと思い、影を感じたらダッシュで追いかけてからは出なくなったことも。
霊も、昔は生きていた存在で、見えない人間なのだと思えば、失礼なことには「お前、失礼じゃないか!」と伝え、逆に失礼なことをしてしまったときは「ごめんなさい」を言うべきで、無暗にからかい合ってはいけないでしょう。
見えないと見たいし、知りたい気もしてくるのが人の心ですが、野次馬根性で覗かれたら腹が立ちますよね。
霊の成仏を手伝えるわけでもないなら、そっとしておく。
自分の邪魔をしてきたときは、「やめろ」と伝える。
これが霊との基本的なお付き合いの仕方と考えると、生きている人との付き合い方と同じですね。
これをさらに発展させると、神仏や天使といった大いなる存在との関係についても同じことが浮かんできます。
虫よく助けてほしいときだけすがられても、面倒で図々しい奴だとしか思ってもらえず、よほど寛大に受け入れていただけない限り、ガン無視されてしまうかもしれません。
まさに、人間関係に通じることです。
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