先日、経済番組で、AIロボットとして世界初の市民権をとったソフィアが出ていた。
人の質問に流暢に答え、あたかも感情があるかのように見えるけれど、インプットしたのは情報だけで、感情は持たないとのこと。
インプットされた情報から、ソフィアは言葉を選び、自分で会話をしているのだ。
そこで思ったのは、人も、もしかすると、本当は感情がないのではということ。
よくわからない曖昧なもの、解明できないものを、感情や気分として、”心”というカテゴリに括ってしまっているのではないだろうか。
よくよく分析を重ねていくと、すべてがロジカルにまとまって、感情的な言動として表現されるとしたら、今後はロボットにも、感情らしきものが生まれると言い換えることもできる。
分析好きの人は、感情的な言動を目の当たりにしたあとに、どうしてそんなことになったのかを考えるだろう。
少なくとも私は、いつも考えている。
自分の感情も分析し、人のどんな言葉を嫌い、どんな態度に感情的になるのかを考えているのだ。
それをしていると、出会ってすぐの相手に対し、この人とは注意しなければ、必ず衝突するだろうということがわかるようになる。
反対に、この人となら大抵のことは楽しく、穏やかな関係を築けるだろうと予測することもできるのだ。
まったく占いではなく、ただの自己分析だが、自己分析を冷静に進めることに、占いの象徴は役立つ。
ところで、繰り返しの作業や、誰にでもできる簡単な仕事は、もうすぐAIが担うようになり、そうした職業の人は、仕事を失うことになると、前々から騒がれてきが、クリエイティブな職業も、のうのうとしているわけにはいかないようだ。
AIが脚本を書き、それが映画化されている。
日本でも、AI脚本の映画が作られているのだ。
AIには、人の常識が通用しない。
だから、人間の考える「当り前」の結末を描くことなく、どこまでも独創的なのだそうだ。
いずれにしても、己の感情に振り回されていては、AIどころか、人間のライバルにすら太刀打ちできないだろう。