親戚が老衰(と言っていいのかな)で亡くなりました。私が介護用品を送り続けていた人の死です。最後を看取ることはできませんでしたが、先週会ったときは、もう、何の反応もできない状態で、ひたすら呼吸をしているだけという様子。
こんなときにタロットを引くのもなんですが、こんなときだからこそ引いた1枚は、「ワンドの5」。頑張って戦っているし、きっと持ち返してくれるはずだと思って見守るだけでした。

帰宅してタロットを引くと「ワンドの9」が。

一段落したのかなと思い、翌日またタロットを引くと「運命の輪」が出ました。すると間もなく関係者からの連絡で、意識が戻って、手を振ってくれたとの報告が!

これまでも死の宣告を受けて奇跡的に回復してきた強靭な人だったので、まさかの奇跡が起きるのではと思っていたところ、昨日引いたカードは「ワンドの10」。

生きることに疲れてしまったのかと心配していると、危険な状態という知らせがありました。カードを引くと「ソードの6」。連れて行かれちゃう!と思うと同時に、安らかな眠りに誘われたのかなと思うところもあるという、何とも言い難い心情での最後の知らせでした。

タロットを含め占いは、自分の未来を心配したり、期待して行うものと思われているところがあると思いますが、意識がない人がどんな状況に置かれているのかを知ることにも使えます。でも、こうした占いは、占い師に占ってもらうようなものではなく、自身で占うべきことです。今回、占いをしていてよかったと、初めて個人的(占いのお客様を通じての喜びとは別のことです)に思いました。命があれば、どんな状況にあってもつながることができるということでしょう。
ところで亡くなった人は、病院に搬送されてから、ずっと酸素と点滴を装備されており、寝たきり状態でした。寝たきりになったらおしまいだ。寝たきりになんてなりたくない。はやくぽっくり逝きたいと言う人に多く遭遇しますし、私もそう思っていました。けれど、実際に目の当たりにすると、そうとは思えません。「今、ここ」にあるだけで十分だということがわかるし、「今、ここで寝たきり」だとしても、それはその人の人生のほんの一瞬で、生きていく上で必ず訪れるスランプの一瞬や、抱えた問題に押しつぶされそうな一瞬と何の変わりもないものでしょう。どんな一瞬でも、その人の人生の一部なのです。
だから、当事者である本人だけでなく、周りにいるご縁のあった人たちも、その一瞬を軽んじてはいけません。最後まで見守られて、最後まで生きることが大切なのです。それが、どんな境遇にあとうとも命を持ってしまった我々に与えられた生と死のあり方なのではないでしょうか。死は、人生において、どんな生き方をした人にとってもたった一度しか訪れない大きなイベントなのです。
こんなときにタロットを引くのもなんですが、こんなときだからこそ引いた1枚は、「ワンドの5」。頑張って戦っているし、きっと持ち返してくれるはずだと思って見守るだけでした。

帰宅してタロットを引くと「ワンドの9」が。

一段落したのかなと思い、翌日またタロットを引くと「運命の輪」が出ました。すると間もなく関係者からの連絡で、意識が戻って、手を振ってくれたとの報告が!

これまでも死の宣告を受けて奇跡的に回復してきた強靭な人だったので、まさかの奇跡が起きるのではと思っていたところ、昨日引いたカードは「ワンドの10」。

生きることに疲れてしまったのかと心配していると、危険な状態という知らせがありました。カードを引くと「ソードの6」。連れて行かれちゃう!と思うと同時に、安らかな眠りに誘われたのかなと思うところもあるという、何とも言い難い心情での最後の知らせでした。

タロットを含め占いは、自分の未来を心配したり、期待して行うものと思われているところがあると思いますが、意識がない人がどんな状況に置かれているのかを知ることにも使えます。でも、こうした占いは、占い師に占ってもらうようなものではなく、自身で占うべきことです。今回、占いをしていてよかったと、初めて個人的(占いのお客様を通じての喜びとは別のことです)に思いました。命があれば、どんな状況にあってもつながることができるということでしょう。
ところで亡くなった人は、病院に搬送されてから、ずっと酸素と点滴を装備されており、寝たきり状態でした。寝たきりになったらおしまいだ。寝たきりになんてなりたくない。はやくぽっくり逝きたいと言う人に多く遭遇しますし、私もそう思っていました。けれど、実際に目の当たりにすると、そうとは思えません。「今、ここ」にあるだけで十分だということがわかるし、「今、ここで寝たきり」だとしても、それはその人の人生のほんの一瞬で、生きていく上で必ず訪れるスランプの一瞬や、抱えた問題に押しつぶされそうな一瞬と何の変わりもないものでしょう。どんな一瞬でも、その人の人生の一部なのです。
だから、当事者である本人だけでなく、周りにいるご縁のあった人たちも、その一瞬を軽んじてはいけません。最後まで見守られて、最後まで生きることが大切なのです。それが、どんな境遇にあとうとも命を持ってしまった我々に与えられた生と死のあり方なのではないでしょうか。死は、人生において、どんな生き方をした人にとってもたった一度しか訪れない大きなイベントなのです。