蜘蛛の行動から未来を予感した歌が平安時代に詠まれていたように、蜘蛛は昔から何かの兆しを感じさせる神秘的な存在だったようです。夜グモと朝グモで吉凶を予感することは、現代にも伝わっていますね。

夜グモ:巣を張り巡らして虫を待伏せる。不吉、姑息、泥棒、凶兆。
朝グモ:天気のいい日に蜘蛛は網を張る。いい1日になる。快晴、吉兆。

「夜蜘蛛来たな」=「よくも来たな」という解釈から「夜グモは殺せ」と言われ、朝グモはお守りとして布袋に入れて持たされることがあったのでしょう。また、ご飯を食べずによく働く女房が、夜は蜘蛛になって旦那を食べにくるという説もあります。この話は、西洋に伝わる吸血鬼やグールの言い伝えにも似ていて面白いですね。

 蜘蛛が自然の中で生きるセンスがいかされる蜘蛛の巣の張り方で、お天気を占うこともできるようです。天候の変化を感知して、できるだけ快適な場所に巣を張ろうとする蜘蛛は、空の変化を体で感じ取っているのかもしれません。

★蜘蛛の巣に朝露がついていたら晴れ
★蜘蛛が高い位置に巣を張ると大量の雨が降る
★蜘蛛が低い位置に巣を張ると強風が吹く
★蜘蛛が動き回ると天気が荒れる

 恋の喜びや切ない気持ちを伝える数々の歌が詠まれた平安時代には、蜘蛛の古語「ささがに」を用いた恋の歌が詠まれています。この時代の日本では、蜘蛛は恋の天使だったのでしょう。蜘蛛が動き回ったり、着物に蜘蛛や蜘蛛の糸がついたときは、恋しい人に会えると信じられていたようです。蜘蛛は恋を叶えるエンジェルなのですね。また、江戸時代に入ってからも、蜘蛛は縁起物として親しまれ、帯止めや手拭いなどのモチーフに使われていたそうです。

古今和歌集
「我が背子が来べき宵なりささがにの蜘蛛の振る舞ひかねてしるしも」


日本書紀
「我が夫子が来べき宵なりささがにの蜘蛛の行ひこよひしるしも」

土蜘蛛
「我が背子が来べき宵なりささがにの蜘蛛の振る舞ひかねてより」

これらは、衣通姫(そとおりひめ)が“蜘蛛が巣をかける様子がはっきり見えるから、いとしいあの人が夜に来るはず。”と詠んだ歌です。

 源氏物語”帚木”では、藤式部の丞が“蜘蛛が盛んに動き回る夕暮れに訪れた私に、明日の昼まで待てとは、意味がわかりません。”と詠んでいます。

「ささがにの振る舞ひしるき夕暮れにひるま過ぐせと言ふがあやなさ」