
高梁川流域の周辺では太古より川から運ばれた膨大な量の土砂に
よって沖積平野が形成され、そこでは古くから耕作地として利用されて
来ました。
ところがここ最近、多くの土地が耕作放置され、かって作業車が行き来
したこの道も草の中に消えかかろうとしています。

酒津遺跡の手前、水江地区では倉敷100選にも選ばれた水江の
渡し場があり、岸から手を振ると船頭さんが舟を出し、朝夕の通勤
通学の足となっていました。
大正期から始まった渡し 時代の流れでしょうか、すぐ近くに橋が
完成し、渡しの存続も判らなくなって来ています。
川風に 裾 乱されし 白き肌

やっと辿り着いた酒津遺跡は高梁川本流と支流とに挟まれた
中洲に在り 干水時には堰から上陸する事が出来、これからの時期
あちらこちらでヘビと遭遇し、お互いが驚きあいます。

川筋の斜面では遺物が少し覗いていたり、出土した状態で
見つかることがあり、注意深く観察します。

今でも川からは恵みと災害を幾度となく受け続けてています。
写真 左下の石器は弥生時代から本格的に米作りが始まり、実った
稲穂を刈り取る道具として使われ、また時として川は牙をむき
氾濫などで大きな被害をもたらした時、中央下の丸く加工した土器片
(有孔円板)は幾つも身に飾り呪術者によって川の怒りを鎮める行為を
行ったり、死者にたむけたのではと・・・。
ところで最近の異常気象、豪雨による水の力は強く 遺跡が在る中洲は
段々と削り取られ、石器や土器も残念ながら川の中へと飲み込まれて
いる様です。