太宰治『津軽』 | 原型師は燃えているか?

原型師は燃えているか?

見せてもらおうか そのオヤジの奮戦とやらを

 

同郷ということもあって太宰治の本が好きだ。小説の中で一番良いと思うのが本作、『津軽』。郷土紀の形を取りながら、「太宰治というキャラクター」を自虐的に(エンターテイメントとして)おどけて見せつつ津軽人に共通する心性を描いている。青森県史をからめ、久しぶりに訪れた故郷と久しぶりの友人たちとの交流。何人も津軽人を知っている人ならば、必ずこういう人居るよ!と思い当たるであろう(津軽弁でそういう人を表す「モツケ」という単語がある)。「疾風怒濤の接待」というキャッチーで笑える表現などは素晴らしいとしか言いようがない。やはり太宰は上手い。最後は育ての乳母を捜しに小泊村を彷徨う。読後に爽やかなものを残す切れ味の良さ。本格的に戦争が身近になってくる昭和19年の銃後、それも「ド田舎」の生活描写という意味でも貴重だと思う。


しかし、『斜陽』や『人間失格』で太宰は誤解されているように思う。こちらの方が、よりリアルに近い人物像ではないかと思わせてくれる。ま、そこも太宰マジックの術中にはまっているのかも知れないけれど。小説以外では自死直前に書かれた『如是我門』が圧倒的に面白い。これくらい面白く他人を叩ける文章があるだろうか?初めて読んだ時は声をあげて笑ってしまった。SNSで日々他人を叩くのにいそしんでいる方々にも、是非参考にして頂きたい。


そう言えば、太宰が好きという人は世に沢山居るだろうが、『津軽』が好きという人にはまだ実際に出合ったことがない。とても残念だ。