国政を担うということ | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

1ヶ月ほど前のNHKの歴史の教育番組で、はっきりと言ってました。

「フランス革命以降国民国家は誕生した。
しかし、国民が国の代表となってからの方が、戦争の規模は拡大し、国民vs国民の総力戦へと突入した。」

ということです。

繰り返しますが、NHK朝の子供向け番組でした。

はい、絶対王政に市民は苦しめられ、市民が国政を担い手となるにはどれほど多くの血が流れたことでしょうか?
今現在も、「国民主権」「民主主義国家」の下で生きられることは、先人達の偉業に疑いの余地はありません。

しかし、しかしですよ。


「戦争の規模は大きくなっている」


ということです。

勿論、戦死者数の増加は、兵器の進化も挙げられます。
君主制国家でも、大量破壊兵器さえあれば同じかもしれません。

しかし、議会制民主主義国の問題として…。

「始まってしまった戦争を終わらせられない」

ということがあります。

なぜならば、「戦争を続けたい民意」を無視することは民主主義国家ではないからであります。

日本史と西洋史及び中国史では比較にならないかもしれませんが、
「最後の一兵卒まで」
とはいつの時代からでしょうか?

日本は源頼朝が平家を滅ぼす時に初めて、
「農民を徴兵する」
ということをしました。

それ以前の戦争は全て
「士族vs士族」または「皇族、公家に縁ある者同士『だけ』の戦争」
だったのです。
鎌倉幕府は有名な1192年に作られましたので、12世紀まで日本国の一国民、一農民は戦地に連れて行かれることはなかったのです。
奈良の平城京時代に「防人」として九州の警備に当たる「傭」という兵役はありましたが、防備目的であり、実際の戦に動員されることはまずありませんでした。

具体的に士族だけの戦争とは…。


「およそ50人vs50人ほどの、学校の運動会程度の規模でした。」

はい、奈良~平安時代の戦とは、先ずは敵方が掲げた扇子を、味方一番の弓矢の使い手が射ることが始まり、その後で遠方から互いに弓を射て、そして太刀を抜いての切りあいがやっと始まります。
しかもご存知の通り、当時の日本の戦の 基本は

「一騎打ち」

です。

互いに口上を名乗りあってから切りあい、刀が折れたら取っ組み合いが始まり…と、とにかく牧歌的でした。

これが中国の三國志の時代なら、西暦200年代くらいから既に人口は一億人を越え、万人単位の戦争をしてました。