関ヶ原後の大名鉢植え政策。
そして鎖国とキリスト教禁止を経て、天下泰平の世となった徳川時代。
幕府お膝元の江戸の町では「白米」が食べられるようになりました。
それ以前の「お米」とは精製してない「玄米」を指していました。
白米を「銀シャリ」と呼ぶのもこの「江戸文化」からの始まりです。
他の国や藩では玄米が食べられていて、江戸では白米が食べられていました。
これにより江戸の町「だけ」に流行する病気が発生しました。
「脚気(かっけ)です。」
脚気は「炭水化物だけを食べ過ぎるとなる病気」とか、「昔の栄養失調の子供がなる病気」と思われる方も居るかもしれませんが、正確には
「ビタミンB1の不足です。」
そう、玄米にはそれそのものにビタミンB1が含まれていたのです。
それを精米して美味しい銀シャリを食べられるようになったことで脚気が江戸の町だけで流行し、当時は「江戸病」とさえ呼ばれていたのです。
ビタミンB1は炭水化物のエネルギー合成を司る物質で、鰻、豚肉、小松菜、鶏卵などに含まれます。
特に鶏卵は、「無精卵は孵化しないので、食べたとしても殺生にならない」という生物学の発達と宗教上の教義の浸透は江戸中後期くらいになってからなので、病の蔓延が学問の発達の引き金となったとも考えられます。
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上記のことを踏まえて、ホンマでっか!?の武田邦彦先生の、お米に関する二つの言葉を
「海苔の40パーセントはたんぱく質。
海苔を食べるということは肉と野菜を一緒に食べると同じことで、白米を海苔で巻く『おにぎり』は非常に合理的な食べ物である。」
はい、勿論、海苔には12種類のビタミンが含まれていて、ビタミンB1が入ってます。
更には「江戸前寿司」って名前は、江戸湾の近海で獲れた魚介類を使用してるから江戸前なのですが、「江戸湾」って言葉が殆ど使われないですよね。東京湾の陸よりの中心付近が江戸湾となります。
「明治時代の国民は、一日に平均5合から1升のお米を食べていた。一回の食事でお茶碗五杯御代わりしていた。
でも、みんな痩せていた。
それは労働によるカロリー消費が現代と全然違うから。
今は『過少労働の過食』だから太る」
と言ってました。
そう、昔の人の方が桁違いにお米を食べていたんですね。
そして肉体労働によるカロリー消費が、週末にスポーツをする程度の現代人とは全く違うということですね。
理想の肉体には運動しかないですね