昔の治部省は戸籍の管理をしていました。
つまりは年貢の計算です。
石田三成はその算術能力により、関ヶ原の戦いでは、敵方の大名の国高から兵力を計算していたと言われています。
目安としては、1千石につき300名の兵士と言われます。
そして10名の足軽に対して1名の騎馬武者が指揮していたと言われています。
これによると、「百万石の大名」で三万人の兵力を抱えていましたが、鍛錬した騎馬兵は2700人ほどだったと考えられます。
佐和山城(現在の滋賀県彦根市)の城主であった石田三成はたかだか19万石の中大名でした。
計算される兵力は5600ほどです。
西軍10万vs東軍8万の関ヶ原の戦いです。
徳川家康は東軍8万人の内、3万人を動員したと言われます。
しかし、石田三成は10万人の内の5600人です。
これは三成が西軍の総大将でない理由です。
合戦の詳細は後日に述べるとして、本題は
「領地の概念」
であります。
日本人に、
「貴族と騎士の違いは何ですか?」
と質問すると、明確に回答出来る率は低いそうですね。
それは、平安の一時期を除いて
「公家が基本的に貧しかったから」
であります。
では、日本人に
「公家と武士の違いは何ですか?」
と聞けば、
「貴族は戦争せずに優雅に和歌詠みやお茶会してるだけでしょ?」
って答える人が多いと思います。
はい、間違っていません。
ただ重要なのは…
「公家や貴族は血縁で職位・財産を相続するが、武家、騎士は本人の武功による貢献で職位・財産が決まる」
ということです。
更に言うなら、
「あくまで本人と主君との契約」
になります。
但し、これは西ヨーロッパと日本に該当することであり、同じく巨大な封建社会を築いた中国とは異なります。
中国は皇帝と家臣。そして皇帝と家臣の親族。という支配関係になります。
中国の封建社会では、親に名と地位があれば子供は自動的にある程度の職が約束されました。
しかし、自動的にその家族まで皇帝の支配下に置かれること意味し、貴族と騎士の中間と言えるでしょう。
そして洋の東西を問わず封建社会の最も大事な部分は…
「家臣の家臣は主君のモノではない!」
ということです。
はい、これを現代の会社や政治家に当てはめると面白いです。
例えば、会社員は社長との契約で給料を貰いますが、中間管理職が私費で人を雇うことはありませんよね?(続く)