710(なんと)大きな杓子定規かな | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

領地領民を守ることは国の最重要課題です。
原始的な村社会では自分達で土地を守り、収穫した作物を守り、女子供を守りました。
そして村の者同士で結婚し、子供を産み育てました。

しかし、侵略の規模が大きくなるにつれ、守る側の規模も大きくなるしかありませんでした。

「自分達の土地を差し出す代わりに有力者に守って貰う。」
このような選択を民がしたのは世の中が危険だったからです。
ただ問題は、その土地の所有権です。

「自分の土地を耕して一定の税を納める」

「他人の土地を耕して働かされ続ける」
とは全く意味が違います。

後者の「他人の土地を~」は中世ヨーロッパの貴族社会に近く、日本史上では明確な奴隷は存在しませんでしたが、奈良時代から平安時代の藤原氏を中心とした「荘園」はそれに近いと言えます。
貴族の藤原氏は「自分の土地」に領民を住まわせることにより絶大な権力を握りました。
ヨーロッパの様な「農奴」ではありません。
藤原氏は荘園内の領民にとても寛容な策を取りました。
なぜならば、朝廷が課する税の方が遥かに重かったからです。
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以下の文を読んで、皆様は、

「え?そんなん逐一、真面目に実行出来るわけないやん!」
とツッコミを入れたくなります。
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時の都は奈良の平城京。
民は重税に苦しんでいました。
教科書で出てきた租・庸・調です。
お米や布を納め、兵役の義務があるのは解ります。

ただ問題は…

「全国各地から米や布を本人が都に直接届けに行く」

「兵役は九州まで警備しにいく」

です。
新幹線も宅急便もない時代に何をやってるんだ?ですよね。

はい、国家が民の一人ずつを完全に管理出来るわけがないのです(笑)。

民は戸籍の届けに子供を女の子が生まれたと偽り兵役や租税逃れが横行しました。
遂には土地を捨てて逃げ出し、貴族に保護してもらうことを選ぶ者が出ました。
勿論、荘園内でも税はあります。
しかし、兵役はありません。
そう、室町や鎌倉の武士は半農半武ですが、平安の荘園内だけは、農業のプロと領地警護のプロと分かれてました。
この専門の軍人達は「野武士」「傭兵」とか呼ばれる者ですが、なんせ彼等は好き放題。税は払わなくていいし、平和な時は仕事がない。
だが田畑を耕してくれる領民に無礼な振る舞いは出来ない。
そんな彼等は普段は何をしてたか?
「商売」「職人」「芸術・芸能」です。
これが実はヤクザの起源です。