未だに傷を被りしことはなし!?~脆く儚き若者達へ | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

徳川家の侍大将、本多平八郎忠勝
ファイル0020.gif
は、関ヶ原の合戦時に国内最強の武将と謳われていました。
その彼を讃える言葉(詞)として、かの柴田勝家は「花実兼備の武士」と称賛しました。
また忠勝自身は

「戦に向かうこと五十余度。未だに傷を被りしことはなし」

と自身の豪傑ぶりを豪語していました。

徳川家の強さは家康の知略は勿論ながら、忠勝の強さであったと言っても過言ではありません。

忠勝は牧田ヶ原の戦いで、かの武田信玄に惨敗した時の殿軍を務め、無事に味方を退却させたことで家康から褒美の槍を貰いました。
それが「蜻蛉切(とんぼきり)」と言われる天下の名槍です。
現在ではゲームの世界で伝説の武器に名を連ねるようになってますね。アーサー王のエクスカリバーや、三國志の関羽様の名馬・赤兎馬みたいな(笑)。

しかし、忠勝の本当の強さとは何だったのでしょうか?
彼自身の豪傑無双ぶりでしょうか?
いえ、本多平八郎忠勝の本当の強さは、その『強運』にあったと言われてます。
そう、五十回以上も戦場に赴きながら負傷しないこと、千や万の軍団の剣林弾雨から生き延びるのは運が良いか悪いかなんですよ(笑)。
同じく戊辰戦争を生き延びた新撰組三番隊長の斎藤一は、「弓矢や弾丸の方が避けていくようだ」と、他の隊員から言われてたそうです。

と、戦乱の世に置いて負傷せずに済んだことは運が良かったこと。歴戦の強者でありながらも負傷しなかったことはそれこそ類い稀な強運の持ち主と言われるでしょう。

翻って現代社会はどうでしょう?

「傷つけない社会」かつ「傷つかない社会」は逆に、たった一度の失敗も許さない窮屈な社会を生み出したように思えて仕方ありません。

最近では「ノーミスクリアでないと意味がない」みたいな変な拘りや強迫観念に追われた若者が多いように思えます。

「失敗しない強さ」がどれほどのものでしょうか?
「最初から完成品を求める社会」は私は間違ってると思います。

何というか…
「雨降って地固まる」



「雨降って地盤沈下」

「七転び八起き」



「一転び引きこもり」

に思えて仕方ありません。

指導する私達の世代も我慢強くないのも原因かもしれませんが。

そして古今東西、豪傑無双と言われる男ほど、僅かなかすり傷が致命傷になっています。男らしい男ほど傷の治癒が遅いのです。続く