耽美的な絶望の唄 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

どれほどの恋に敗れただろうか

どれほどの涙を流しただろうか


この恋をも失った

最後の恋と思っていたのに

真実の愛はまだ見つからない


そして僕はわかってしまった

人は決して恋に絶望しないということを

「あの人は私の全てだった」

「命だった」

「かけがえのない存在だった」

と繰り返しても…失恋は決して絶望に帰結しない…。

人が本当に絶望する時は


「絶望しない自分を知った時」

だからだ



どれほどの誤魔化しを並べただろう

どれほどの慰みを用いただろう

「ささやかな幸せ」

「等身大の日常」

「何気ない笑顔」

思った以上に傷ついていない自己自身がそこに居る
確かに居るのだ

「あの人はかけがえのない存在というほどではなかった」

との結論が、中途半端で不完全な自己自身を嘲笑う

狂おしいほどの恋がなくとも

締め付けるほどの焦燥を感じなくとも


僕は命の息吹を感じてる


…あの恋に絶望出来なかったから…。


そんな自分に絶望する

そして僕はまた恋に堕ちることを躊躇しない…。


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はい、詩のカテゴリーに入るかは不明ですが、思ったままに書いてみました。

元々は小説のキャラクターで詩人が居て、作中で述べるはずだったのですが、話がまとまらず頓挫しました(笑)。

書きかけを発表して皆様にご迷惑をかけるよりは良かったかな…。

勿論、察しの良い読者さまはお気づきでしょうが、「絶望」はセーレン・キルケゴールの「死に至る病」を参考にしていいます。