おとことおんなとおわらいと 6 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

「橋の下で」

はい、元府知事の話ではありません。

赤ん坊の話です。

ブログを始めた5~6年前に交流してたユーザーさん達と、ある一つのテーマで熱く盛り上がったことがありました。

それは…

「みんな一度くらいは親から『お前は橋の下で拾われた子だ』と、言われたことがある」

って話でした。

私より10才以上年上の方達が7~8人くらい集まって、誰もが口を揃えて

「確かに子供の時に親から言われたなぁ」

と楽しくコメントし合ってました。

しかし、話はそれだけで終わらず、そこから掘り下げた部分がとても興味深かったのです。

「何故、必ず『橋』 限定なのか?」

と疑問を投げ掛けた人が居れば、

「それはきっと、せめて雨晒しにならない場所にとの想いを込めた、実親の最期の愛情って意味だよ。勿論、架空に設定された親だけど(笑)」

と、最もなコメントしてる方が居て、私は凄く納得しました。

またあるユーザーさんは

「あの当時は、どこの家の親も子育てを楽しんでた。」

と、素晴らしいコメントをしてた方も居ました。

****
そうですね。
兄弟がたくさん居たり、近所のおじさんおばさんに叱られたり、友達の赤ちゃんの世話を手伝ったり。
空き地で野球やサッカーをしてたりしたら、知らない子も入ってきたり…。

どの家庭も裕福ではなかったけど、確かにどの家庭の親も、子育てを楽しんでたと思います。少なくとも子供の成長を見守る余裕があったと思います。

私も今は亡き父親から言われたことがありました。

「お前はバルタン星人
ファイル0708.jpg
が○○山(私の実家の近所の山)に置いて行った子供やから、明日の夜にでも、お母さんにおにぎり3つ作って貰って、○○山へ還れ!」と言われたものです(笑)。

父が既に他界し、それを言ってた時の父の年齢を追い抜いた今だからわかったことがあります。

父は必ず「明日」と言ってました。
決して「今すぐ出ていけ」とは言いませんでした。
そして翌朝に母がおにぎり3つを握り終えてることは勿論ありませんでした(笑)。

この話を愛する妻にすると、

「私も『お前は橋の下で拾われた子』って言われたよ。でも、そっちはおにぎり3つも貰えるの!?」

と言ってました。

(終わり)