学生に戻った気分で 1 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

はい、わざとタイトルは本題から外れた名前にしました。

タイトルだけ見て過激な輩が寄ってくるとも限りませんので(笑)。
ご覧の通り、デンマークのカテゴリーを独立させました。

で、こんな本を図書館で借りてきました。
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「デンマーク中学校歴史教科書」

です。
海外の学生が学んでる内容を翻訳版で簡単に読めるなんて素晴らしい時代です。

何よりも驚いたのは、教科書の文体が哲学的なんです。
書き手が確固たる信念を持って書いてるんです。
「ソフィーの世界」はノルウェーの本ですが、やはりその様な土壌を肌で感じました。
以下の文章は、デンマークの中学生が歴史の授業で習う内容です。
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1700年代後半を通して、ヨーロッパ人の人間への理解が変わっていった。黒人を奴隷として大西洋を越えて運ぶことへの批判が高まっていった。1790代はじめにイギリスは奴隷貿易を禁止した。1792年にデンマーク王、クリスチャン7世も同じ決定をした。しかし禁止は1803年から有効だったので、奴隷を供給するのに十分な時間があった。
禁止されたのは奴隷貿易だけで、奴隷制度ではなかった。しかしながら禁止は奴隷に恩恵をもたらした。奴隷の数を保ち続けるには、農園主はより長く生きるようによりよく扱わねばならなかった。そして自分の奴隷に子供を作るよう促すことも出来た。
ヨーロッパでは製造に関する見方も変わった。
奴隷は常に可能な限り少なく作ろうとしたので、奴隷を働かせるために監督者が必要だった。その代わりに、生産量に基づいた賃金を与えれば、より効率的に働こうとするだろうと考えられた。
1833年にイギリス議会は全ての奴隷は自由とならなければならないと決定した。
農園主は補償を貰った。西インド諸島のセント・クロイ島で騒動が起きた後、デンマーク奴隷は1848年に解放された。
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はい、これが教科書に書かれてる内容です。
日本の学校、少なくとも私が学んだ学校では「○○年に××がありました。」って事実の羅列で終わってたと思いますが、「明確な答え」と「相手に考えさせること」を核として持ってるから驚きました。

なお、ヨーロッパ国内でテンサイから砂糖が生産されるようになり、植民地である西インド諸島のサトウキビ農園は経営が苦しくなった背景も、奴隷解放に起因したとも教科書に書いてました。(続く。)