過去に書いたことばかりですが、新しい読者様もおられますのでおさらいの記事としたいです。
本名 セーレン・オービエ・キルケゴール

七人兄弟の末っ子として生まれるが、長男のペーター意外は、セーレンが少年時代のうちに亡くなる。
幼い内から鬱屈して育ったセーレン少年の趣味は、父と一緒に楽しむ「世界地図旅行」であった。
部屋の中で地図を広げ、父と旅行計画を立てることが楽しみだったという。
しかし、実際に彼が旅行したのは22歳のコペンハーゲン大学在学時に北シェラン地方を旅した一度だけです。
コペンハーゲン大学では神学部で学んでいます。
そして牧師の資格も持っていてとても敬虔な人物です。
上記の旅行をした際に彼は娼館に通いました。
彼はその事を後世に渡り後悔し続けます。
婚約者レギーネ・オルセンとの婚約破棄の理由は、この娼婦の件も関係してるのでは?
との学説があるくらいです。
つまり、キルケゴールは自身の性的不能に苦悩し、レギーネに婚約破棄を一方的に申し出たのでは?
とのことです。
しかし、これについては主観的にも客観的にも裏付けるものがなく、その娼婦との一夜では子供を授からなかっただけ、としか言えないです。
レギーネとの婚約破棄の理由は「精神的な繋がり」つまり魂と魂の結ばれをより重視した、との考えもありますが、私は彼自身が病状の進行(脳炎)に気づいてたからだと思います。
キルケゴールの婚約破棄は、印刷技術の発達により日刊新聞が生まれた時代のゴシップネタには最適だったらしく、新聞には連日彼の風刺画が勝手に掲載されていました。
端正な顔立ちながらも、小柄で猫背で変わり者の彼でした。
左右で裾丈の違うズボンを履き、いつも同じ服装でした。
そこから転じて、当時のデンマークでは
「キルケゴールみたい」
と言えば、同じ服ばかり来て、オシャレに無頓着な男性を指す言葉だったくらいです。
しかし、これには背景があります。
キルケゴールがわざとみすぼらしい格好をするのは、友人の海運商の息子の恋を実らせる為に、自分は汚い格好をして、友人の彼にキルケゴール自身が服やアクセサリーを見た立てて、最高のオシャレをさせたのです。
しかし、友人の彼の想い人もレギーネであり、全てはキルケゴールの策略だったのですが。