懲りずに女童ちゃん | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

ジブリの「かぐや姫の物語」

を哲学者としてテーマを掘り下げて物語に潜む「実存」を検証したいのですが、なかなか文章がまとまりません。
理由は様々です。

1 年度末の仕事の忙しさ。

2 連載小説の執筆に苦戦中なこと(書いてる時はいつも、『今までで一番大変』って言ってるなぁ…。)

3 「かぐや姫の物語」よりも、女童ちゃんしか頭にないから。

以上の三点が主な理由ですが、かなりのウエストを占めてるのが3です(笑)。

では前回に続き、勝手に画像をアップします。

ファイル0806.jpg

ファイル0239.jpg

ファイル0087.jpg

ファイル0050.jpg

ファイル0004.jpg

以上が本編から。

次は、イラストを拾いました。

ファイル1070.jpg

ファイル0304.jpg

ファイル1528.jpg

ファイル1470.jpg

ファイル1471.jpg

で、問題のテーマそのものですが、私は
「原罪」

と思います。

大抵の人は、見終わった後に
「それほど罪と罰の話じゃなかったな」

と思われるでしょうが、予告の時に煽られていた「罪」は「原罪」と私は解釈します。

「人間社会のルールを破ること」

ではありません。

生きていく上で避けて通れない罪科。
食べることや争うことや、他者の死によって生存することなどです。

それを否定出来るのはより高次元の「超越者」のみとなり、月の住人が咎めるのですよね。

かつての「竹取物語」なら、武装した兵は月の使者に惨たらしく殺められるシーンもありましたが、音楽で眠らせるのはジブリらしいと思いました。

愛する妻はこの作品を「早世した赤子は『月に還った』と子供に説明する方便」と言ってましたが納得です。

捨丸兄ちゃんと空を飛ぶシーンは「不倫」の暗喩ってのがネットの多数派らしいですが、私は「身投げの心中未遂」と解釈しました。
(続)