哲学的断片 8 キルケゴール語録 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

本日二回目の更新です。

創作小説の方もまたお読みくださいね。

キルケゴールの著作「哲学的断片より」

1. 「歴史家達は資料を大切にするが、時間は問題にしない。」


2.「神の証明は、その証明を手掛けているその間だけは常に間違っている。
神は証明しようとする者がその手から『離れるやいなや』神ではなくなるのだから。」


3. 「自己の責任において不真理を行うこと。それを罪と呼ぼう。」

4. 「信仰とは、悟性においては情熱によって自己自身を獲得することである。
また、逆説によっては情熱によって自己自身を放棄することである。」

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解説です。

※1 勿論、ヘーゲル派への批判です。
歴史家の批評は後世に生きる者が前人の判断を検証する者であり「今現在」を生きる単独者には何の救いもならないということです。


※2「神」と言えば難しいでしょうが、

「貴方が愛だと思うそれ以外も愛なのです。」

との言葉があります。

それだけ数学的証明により神の存在を証明したルネ・デカルトの功績(是非を問わず)は大きく、中世キリスト教の眠りを覚ますほどの衝撃でした。

※3 人は言われなくとも、合理的でベストな選択をするものです。
他者を貶める事より自分を磨く方が遥かに実益を伴うことを、本当は誰もが知っています。
己の価値を下げて無駄な悪行を繰り返せばそれは「罪」です。

これを「原罪」と混同してはいけません。

ライオンがシマウマを一匹食べるのは生きる為に仕方ない「原罪」です。
食べることそのものが許されないならば、審判の日に神の裁きを受けるしかありません。

しかし、ライオンが食べきれないのに三匹のシマウマを仕留めるのは「罪」です。
他のライオンに食べられたくないから、とかの動機こそが「不真理」なのです。
清廉潔白な者ほど、自分の罪に無頓着なクセに、他人を原罪の名の下に批判しがちです。
そして原罪により他者を「罪深い者」または「自分は常に無罪だ」と作為的に思わせる者の何と多いことか!

※4 言うまでもなく、信仰の鍵は情熱です。
ここでの悟性は「悟り」であり、考えて結論が出る「理性」とは別であり、逆説は反証、例外、偶発的なイレギュラー。などです。
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余談ですが、「~するやいなや~」はas soon as で表現されますが、漫才師の「タイムマシーン3号」さんの「as soon as」のネタは面白いです。