哲学的断片 3 問いかけと想起 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

著書「哲学的断片」でソクラテスを評するキルケゴールを、私なりの言葉で書かせて頂きます。
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そもそも「問いかけ」とは何であろうか?

ソクラテスは古代の自然科学の研究者(ソフィスト)のジレンマに対して、

「知っていることは問いかけない。
また、知らないことは問いかけることすら出来ない。」

と、説明しました。
そしてこの事に対してソクラテス自身が答えを導きました。

「真理は教えるでも教えられるでも、与えるでも与えられるでもなく、最初から相手側にあるモノを想起させるのである。」

これについてソクラテスは首尾一貫して誠実でソクラテスらしさを貫いた。

そう、ソクラテスは万人に問いかけ続けることで

「万人の産婆」だったのだ。

ソクラテスは生むこと、生ませることはしなかった。
相手側が自らの力で導いた答えを取り上げたのだ。

このように教師たる者は産婆であるべきで、如何に教えるか?は、如何に思い出させるか?である。

教師たる者が産婆の態度以外で教え子に接することがあれば、それは「教える」でも「伝える」でもましてや「与える」でもなく、ただただ「取り去る」だけである。
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はい、キルケゴールはソクラテスに関する論文を大学時代に書いてます。

キルケゴールを知る前から、ソクラテスに関する評価は私と殆ど同じです。

ソクラテスに言わせれば、真理や哲学は最初からあるモノを「思い出すこと」なのです。

足し算を知ってるから引き算が出来るように。
掛け算が出来るから割り算が出来るように。
偉大なるスポーツ選手は、練習以上の力が本番で出ないことを十分に知っているように。
本当の勝利者はサプライズや波乱や突然のインスピレーションの上に成り立つのではなく、ただただ普段通りに戦い、出来る事をやり遂げ、アクシデントやハプニングにのみ注意して淡々と勝利するように。

私はブログを始めて直ぐに「子供の哲学を書いください。」
と、言われました。
それは「子供でもわかるような」って意味なのですが、「何故、子供の哲学者がいないのか?」が疑問でした(笑)。
それは発展途上の子供達が自らの体験を振り返らないのが当然だし、その体験を比して論ずることは皆無だからです。

「幸せの青い鳥は最初から自分の肩にとまっている。
しかし、一度旅をした者にしか見ることは出来ない。」

彼らを知らない頃にシッタカブッタを読んで導いた私の言葉です。