私からの小さなお願い。 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

月末、月初に連続勤務、しかも開店から閉店までのフル出勤が続き、明日は名古屋で研修…。

流石に小説は更新出来ませんでした。

で、とりあえず今日のブログで私が伝えたいことです。

ナイジェリアやトルコや中国で宗教に関連する紛争、特にイスラム教を原因とする紛争が沢山起きてますが、私の記事を読んでくださってる皆様はどうか、「だから宗教は~」と思わないでくださいませ。
イスラム過激派は銃で理念を押し通そうとしてますが、そんなものはアラーやマホメットやコーランの本質から逸脱しています。
どうか熱心にイスラム教を信仰している一般の方々が、不利益を被らない様に彼等の幸せを祈ってほしいと思います。

イスラム教の本質は「五行六信」です。銃による支配はこれらに逸脱しています。
そしてチープで陳腐な手垢まみれの言葉は百も承知で言います。

「神は決してこのような争いを望んでいません。」

「天は自らそうするように、人が人を許すことを望んでいます。」

はい、で補足までにイスラム教の五行六信とは

五行

礼拝
断食
喜捨(所得により決められた金品を納め、貧困者や孤児の為に使う)
巡礼

六信が

アラー(神)
天使
預言者(神の教えを伝える人間)
天命
来世
啓典(コーランなど)


はい、偶像崇拝禁止の一神教でも、人間礼賛を否定してはいません。
カトリックでも聖人信仰があります。

神道だけが「人間の神格化」をしているわけではありません。

パウロはギリシャの神殿を見て「神はこのような所に居ません!」と言ったそうですが、
「ここに居ないの百も承知だから、ここに奉ってるんだろ」と突っ込みたくなります。

そんな私は宗教家ではなく、この件に関しては、哲学者というよりは神学者にはほど遠い一介の信仰者です。