デンマークの哲学者、セーレン・キルケゴールが生きた19世紀半ばは、芸術的創作における詩作のウェイトが高かったと思います。
映像技術やインターネットがなかった時代を考慮して、以下の言葉をお読みください。
「詩人は少女にバカにされる為に存在する」
(byセーレン・キルケゴール)
です。
勿論、差別を助長するのが目的ではありませんよ(笑)。
キルケゴール的皮肉表現です。
つまりは
「事実は小説よりも奇なり。」
です。
少女は詩に綴られた愛の言葉に感動し、物語のヒロインに感情移入しながらも、結局は自分が主役であるということです。
そして現実の「自分の」恋愛の方が遥かにファンタジーだということです。
他人の恋愛よりはフィクションの方が面白いかもしれませんね。
しかし、どんなに美しいラブソングや美しい恋愛小説から学んだとしても、「自分の」恋愛にどれほど役立つ言えるのでしょうか?
思うに少女は物語のヒロインに感情移入しながらも、理屈抜きに自分が主役ということがわかってると思います。
思うにシンデレラの物語の鍵は、王子様は貧しい格好で苛められている彼女に恋をしなかったということです。
王子様は派手な衣装に身を包んだ「非日常」なシンデレラに恋をしたのです。
これによりこの物語を読む少女は、何がなんでも王子様とシンデレラの恋を祝福するのではなく、自分が美しい衣装を纏って自分が理想とする王子様と結ばれる結末を想い描きやすくなったということです。
「詩人は少女にバカにされる為に存在する」
キルケゴールが現在のテレビや携帯やネット社会をどう思っていることやら(笑)。
私の独断な記事をお読みくださりありがとうございました。