法と理性と信じるということ。 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

19世紀を生きたデンマークの哲学者セーレン・オービエ・キルケゴール

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は言います。

「情熱の推論のみが信頼に足る唯一の推論、人を説得する唯一の推論である。」

キルケゴール著『おそれとおののき』より抜粋。

人は論理の正しさのみを信用するのではないのでしょう。

「その人が」言ってるから信用する「情」に左右されるのでしょう。

完璧に理性的に制御された世界なんてのは、一時停止を徐行したくらいで切符を切る白バイ隊員だけで十分だ。

by SPA-k

いえ、日夜お国の為に、働いてくださってる警察官の方に何の恨みもありません。
あくまで比喩です。

事故処理をする交通課の方が、個別の事情を考慮しませんよね?
理性的で道徳的で、規則に従うとはこうゆうことです。

しかし、人間はそれだけで生きられないということです。

「正しい裁き」だとか「分け隔てなく平等に」がホントに実現されれば、無機質なお役所仕事になるだけです。

客観的事実による証拠主義というのが、如何に困難を極めるかは容易に説明出来るでしょう。
裁判の長期化や、一律の規定が設けられないこと、判例主義だから良いことと、判例主義だから悪いこと等々。

万人が納得するには如何に難しいかということです。
そして主観を捨て、己の客観に譲歩(それでも人間は主観を捨てれず、あくまで相対的に客観性を強めるだけです)するのが如何に苦痛かわかるでしょう。

お役所仕事や理性や客観視を否定しながら、平等や公正を訴えてる方(更に都合良く『偽善』を連呼する方は

「自分だけに温情をかけてほしい」

という主観からの脱却が必要なのかもしれません。
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コナン君が賢いからその推理を信じるのではなく、事件解決と仲間の安全に情熱を燃やすコナン君の言葉だから信じるのでしょう。

「この世は賢者が主張する以上に愛情に満ちて忠実である。
この世はいかなる人間も除外しないし、どんなに卑しい人間も除外しない。
この世は何人をも馬鹿にしはしない。
精神の世界では、自らを馬鹿にするものだけが馬鹿にされるのだから。」

byキルケゴール

「地獄とは鬼の居場所や針の山や血の池ではない。
蒸し暑い中での自己嫌悪だ。」

魔夜峰夫「パタリロ」より抜粋。