人間の偉大さは
何を愛し
何と戦い
何に打ち克ったか
に、よって決まる。
自らを愛し、自らと戦い、自らに打ち克った者は、自らによってその偉大さは認められる。
他者を愛し、他者と戦い、他者に打ち克った者は他者によりその偉大さは認められる。
神を愛し、神と戦い、神に打ち克った者は、神によりその偉大さを認められる。
セーレン・キルケゴール著「おそれとおののき」より。
上記の言葉に説明は不要でしょう。
「敵」が自分を育てるのは歴史が証明しています。
兄弟や親は、最初から与えられる「平和」で成立するのではありません。
競争や自己研鑽や切磋琢磨を、
「愛と平和の名の下に」
怠惰を推し進めた末路は哀れでしょう。
またキルケゴールは
「詩人は英雄が成し遂げたことが出来ない。
彼らはただ賛美し、愛し、英雄を楽しむことしか出来ない。
しかし、彼らは英雄に劣らず幸福だ。
彼らは追憶の天才であり、なされた事を追想することなしには何もなすことが出来ず、なされたことを賛嘆することなしには何事もなすことが出来ない。
彼らは自己のものからは何ひとつ取り出すことをしない、しか彼らが求むるものを見いだした時、彼らは歌う。
英雄を賛嘆し、自分達と同じように英雄を誇りとしてくれることを求める。
これが彼らの営みであり、慎ましい仕事である。」
キルケゴール「おそれとおののき」より
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はい、詩を評する者は山ほどあれ、詩人を評し、詩作活動を19世紀に評したキルケゴールのこの言葉は非常に貴重です。
歴史小説家自身が、宮本武蔵の様な剣豪ではありません。
徳川家康の様な権謀術数の達人ではありません。
彼らの功績は文章を書き上げたことや講演会で名言を残したことでもなく、武蔵や家康を愛したことなのです。
思うに、「るろうに剣心」のヒットは、少年ジャンプで美しいドラマと活劇か掲載された以上に、著者の和月先生の、創作キャラクターと歴史上の偉人に対する敬愛が単行本のおまけページに綴られていたことではないだろうか?
作者のキャラクターへの思いを読者は直接知り、作者を介して歴史上の偉人は新たな命を持ち、歴史そのものに鼓動を打たせたからこそ、人の心を動かしたと思う。
タレントが自身の奇行を背骨に本を売るのは論外だが、作者は何よりも作品と作中の人物を敬愛してほしいと思います。
美しい恋愛小説を書きながら、私生活が破綻した文豪の多いこと