『この世は貴方が見たい物を、見たい様に、見たいだけ見ている世界』
「ならば何故、望まない災害や事件に遭うのですか?」
災害や事件に遭うのも、
『貴方が今現在、確かに存在して生きているから』
としか言えません。
災害や事件で命を失えば、それを災害や事件とも思えないでしょう。
全ては生きているからです。また、
『貴方が扉を開けた瞬間、世界は初めて創造される。
ドアを開ける前には、ドアの向こう側の世界は存在していない。』
『貴方の選択は右を選んでも左を選んでも常に正しい。
しかし、選択肢以外のことを考えなければ。』
これらは常に『今を生きる』に通じます。
過ぎ去ったことを、あと出しジャンケンや、日より見評論家の様に言うのは簡単です。
しかし、生身の人間が他者との『念』が相互に行き交う海の中で、自分だけが外側から傍観者になることは不可能です。
『魚は海を認識しない』
です。
完全なる客観は、神以外に持ち得ないでしょうが、思索することは必要です。
礼や謙虚さは主観のみで生きる己の戒めや傲りを無くす為には有用でしょう。
『謙虚さは客観性を知る為の一里塚』
だと思います。
結局他人の頭の中に入って、その人と同じ目線になって、自分を見ることは出来ないのですから。
但し、それは相手側も同じということ。
『生きる為の五条件
1 快適な温度と湿度
2 水と食料
3 愛情
4 気配り
5 哲学の問いかけに対する答え』
人間はこの5つの内、一つでも欠けたら人間として生きていけないのです。
特筆すべきは、愛と気配りを分けていることです。
私は愛は普遍性、絶対性。
気配りは社会性や相対性だと思います。
そして『哲学の問いかけに対する答え』
とは、『哲学』でも『問いかけ』でもありません。
人間は無意識下でも、それが纏まった言葉でなくても、必ず
「神とは?」「人間とは?」「自分とは?」「死と死後は?」「愛とは?」の問いかけに対して、必ず自分なりの答えを既に持ちながら生きているということです。
それが人間なのです。
持っている答えを再認識したり、微調整したり、大幅修正したりしながら人生を歩むのです。
『幸せの青い鳥は最初から貴方の肩に止まっている。
但し、一度旅をした者にしか、その姿は見えない』
今日この日だからこそ、今生きている私達の命に感謝。
魂を磨いて、その人生に価値と意味を。
終わり