私は一個人として市を巡回し、賢者と呼ばれるあらゆる人間に対して忠告を与え続けた。
「ならば、ソクラテスくん。
そんなにやりたい事、言いたい事があるなら、官職に就いて公に呼びかければいいではないか?」
と、思うかもしれない。
これにはメレトスも訴状の中で嘲笑しているが、私の内から沸き起こる『超自然な声』が原因である。
私のこの「声」は常に私の行動と決断に抑止を与えはしたが、催進を促すものではなかった。
私はアテネ市民の諸君に言いたい。
少しでも長生きしたく、不正と不法を阻止したいならば、決して公人ではなく私人であり続けるべきだと。
この事に対して、私は有力な証拠を提出しよう。
私は国家の公職に就いたことは一度もない。
ただ参議院になっただけである。
そうしてたまたま私の属しているアンティオキス族が当番に当たっている時に、アルギナサイ島沖の海戦(BC406)で総司令官カリクラティディスは敗れた。
10人の将軍達は敗走しながら味方の遺体を回収しようとしたが、折柄の暴風雨に邪魔され、彼らは自らの命だけしか持ち帰れなかった。
そのことに対して、私以外の当番議員は単なる議会の派閥争いから、この10人の将軍を一律に有罪にした。
本来なら個別の事情を精査し、一人ずつが起訴に値するかを議論するのが円堂(トロス)の議員の職務であり、国法に従った行為であるにも関わらずだ!
彼らは反対した私をも告発しようとしたが、私は投獄や死刑を恐れるよりも、正義と国法の味方として、あらゆる危険を冒すことを選びたかった。
勿論、これはまだ民主政治が行なわれる前である。
しかるに寡頭政治※の世になった時、「三十人」はまた私とその他4人をトロスへ召喚して、サラミス人レオンを処刑せんが為に連れて来いと命じた。(サラミス海戦)
政府は他の人間にも同様なことを命じていたが、私は不正と涜神を避ける為には命を惜しまぬ者である。
他の四人はサラミスへ赴きレオンを捕縛したが、私は円堂からの帰り道でそのまま家に帰ったのである。
これにより政府は滅び、民主制が起こったが、私があの時追従していれば、今私は生きていないのである。
****
はい、君主制から民主制までの間に「寡頭政治」による「三十人体制」があったようです。
表向きには合議制ですが、特権階級の支配には変わらないですね。
それでも2400年前に既にこんな文化があったのにはホントに感服します。