超訳・ソクラテスの弁明 17-8 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

裁判官諸君、どうして私が彼の訴状を「冗談まじりの言葉遊び」と解釈したかを一緒に考えていただきたい。
それにはメレトス君、君は私の質問に答えていただきたい。

思うに、「神霊の働きは信じるのに、神霊の存在を信じない者」が居るだろうか?
「馬に関することを認めながら、馬の存在を認めない者が居るだろうか?」
あるいは、「笛吹者の存在を信じないのに、笛吹術だけを信じる者」が居るだろうか?

メレトス「一人も無い」

何という有難い事であろう、君が遂に答えてくれたとは。

これで君の訴状に照らし合わせれば

『国家の神々を信ぜずして他の新しき神霊を信ずるが故に』
とは、仮にどんな神霊であれ、私は神霊を信ずる者なのである。
また、我々は神霊を妖精や精霊と解釈し、神の子と見なしてはいないだろうか?
メレトス「まったくそうだ」

※これにより七話のメレトスの『貴君は総じて神を信じていない。』
の主張が崩れたことになります。

すると、私が神霊を認め、神霊が神の子であると知っている者ならば、君の訴状は矛盾であり冗談になる。
誰が神霊(この場合、精霊や悪魔に近いかも)を神の子と信じながら、神を信じない者があろうか?

馬と驢(ロバ)から生まれた「ラバ」の存在だけを信じ、馬と驢だけを信じない者があろうか?

否、メレトス君、君がこんな訴えをしたのは、何を以て真の罪として私を陥れるか迷った末に、としか考えることが出来ない。

アテネ市民の諸君、メレトスの訴状に私はこれ以上の弁明は要すまい。

しかし、私に対する敵意が多数の者からあるのは真実である。
多く者からの誹謗と猜忌はメレトス達の訴状以上である。
ある者は私にこう言うかもしれない。

「ソクラテスよ、君は今現にそのために危険を冒している様な職業(著名な者と問答することでその者の無知を露にすること)を職業とすることを恥辱に思わないのかね?」

と。

しかし、アテネ市民の諸君、思うに、人はいかなる位置にあっても、それが自ら最良と信じたものであれ、もしくはそれが指揮者によって指定されたものであれ、危険を冒しても固守すべきであり、恥辱に比べては、死やその他の事の如きは少しも念頭に置いてはならないのである。(続)
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はい、「神の働き(奇跡やラッキー)を信じるのに、神を信じない者は一人も居ない。」

ご利益だけ授かりながら、神を信じない者は、小遣いだけを欲しがる親不孝者に近いかな?