その子は何もしなかった。ただただ沈黙を守るだけだった。
しかし、その眼差しだけは園児以上の眼力で、表面上の価値を否定し、己の内なる者を肯定したがっているようだった。
百貨店ではなく、大型スーパーの靴売り場。
比較的安価なキッズ用ビーチサンダルが並んでいる。
母親に聞けば夏祭りの浴衣に合わせて買い求めに来たようだ。
白のオーバーオールに、少しヒールがあるサンダルを履いたその子は、母親の会話を気にする素振りもなく、ただ沈黙していた。
その子の肩までのカーリーヘアが、ナチュラルに伸ばしただけだ、と母親が自慢気に話し、女性店員が少し大袈裟に驚いた素振りを見せた時だけ、心なしかその子は不機嫌さは増した様に思えた。
この子に取って「可愛い」は賞賛ではなかった。
だがそれを言動や行動で否定するわけでもなく、相変わらずの沈黙と冷めた視線を保つだけだった。
女性店員と母親が交互にこの子のサイズに合ったビーチサンダルを持ってくる。
夏らしく、花火がデザインされたものだったり、金魚や動物が描かれたものもあり、専門店に負けてない品揃えだった。
言われるがままに椅子に腰掛け、足を投げ出す。
紐とスナップが絡むサンダルが、この子には複雑な様で自分で脱ぎ着出来ない。
しかし、それに頓着するべくもなく、母親に任せていた。
母親は履かせる度に我が子の可愛さに歓喜していたが、子供の沈黙は変わらなかった。
やはりこの子の沈黙は可愛さへの否定であった。
途中同じ4~5才くらいの女の子を連れた女性が母親に話しかける。
子供同士も一応挨拶を交わすが、親同士より遥かによそよそしい。
同学年の女の子と比較しても、その子供はアクセサリーも髪飾りもなく、正しく「可愛さの否定」であると同時に「大人の美しさへの羨望」の様にも思えた。
女の子は去り際にその子にガムを渡したが、嫌いなキャラクターのガムだったのか、無造作に自分のポシェットに放り込んだだけだった。
母親は遂に商品を絞った。
花火柄のビーチサンダルが一番気に入ったらしい。
女性店員に案内され、レジを通す瞬間、その子供は言った。
「あれにする。」
指を指したのは6~7才向けの濃紺無地のビーチサンダルだった。
唖然とする店員と母親。
会計を終えて帽子売り場に並ぶ広島カープの帽子を見て、
「赤は女の色。紺か黒がいい。」
と言い捨てた。
その日を境に母親は息子を着飾らせることを止めたという。