幸せの道のり?いいえ、幸せは道のり | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

トルストイは言った。

「幸せな家庭と問われれば、誰もがほぼ一律な家庭を思い浮かべるが、不幸の原因は多様である。」

これが神の唯一絶対と、無数の悪魔に繋がったのでは?

そして多神教の神々が安易に悪魔に置き換えられたのでは?

煩悩は108もあるが、徳は仁、義、信、礼、智、忠、孝、悌。
やってはいけないことに対して、やった方がいいことは少な過ぎる。

行き着くところが「死」であり、「神」との一対一が終幕ならば間違いないかもしれない。

しかし、八百万の神は現世にこそ存在する。
それは幸せも信仰も道のりそのものということ。

「これだけ苦労したから幸せが訪れる」

とか

「これ以上の不幸は無いからあとは幸せが来るだけ」

という発想が不幸なのかも。
天井知らずの幸せを求めるが、底なしの不幸を信じない。

幸せと不幸は時間軸に左右されないということではないだろうか?

一流の軍人もスポーツ選手も、

「負けたことだけでなく、勝ったことも忘れる」

と言う。

今しかないのだ。

大切なのは道のりそのもの。
努力を楽しもう。